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夢吐(うそつ)き

夢吐き 第二部-13

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「篠宮君からうかがっていましたから。この部屋のキーを秋沢さんという女性の方にも渡してあると。
だから、靴があるのを見てお泊りになったのだろうなと思いました」
二人はLDKのダイニングテーブルに向かい合って座っていた。
ベッドルームの床にこぼれたラフロイグは、香子が顔を洗っている間に、彼女が手早くぬぐってくれていた。

壁時計に視線を向ければ、両針はすでに午前8時を大きく回っている。
その視線をそのまま動かせば、今度はキッチンカウンターの上の空っぽのボトルに止まる。
泥酔したわけでもないのに、昨夜、ベッドの中にもぐりこんだことさえ覚えていない。
ただ、肌が覚えている温もりに包まれて熟睡したことだけは、触れればとろとろとこぼたれそうな肌と目覚めの爽快感が教えてくれる。

「お仕事はよろしいのですか?」
「今から行っても遅刻ですから。今日は半休を取ります」
開き直った言葉だが、時間も忘れて眠り込んでいた後ろめたさが滲んでいたか、女性はまた穏やかに笑った。
ふくよかな頬にくっきりとえくぼが穿たれる。

ハウスキーパーの円城寺ですと自己紹介した彼女は、「旅行でお掃除を1週間さぼってしまったので、今日は早めに出てきたんです」と、早い出勤の理由を話した。
いつもなら午前9時から90分、週2回の契約なのだという。
「もっとも、恭祐君とは派遣会社を通さない個人的な契約なので、都合のいい時、いつでも構わないと言われているんです」
「あの・・・、野木、野木瑞人さんがここに住んでいた時もこちらにいらっしゃっていましたよね?」
「はい。野木さんには5年お世話になりました。
野木さんが亡くなった後、派遣会社との契約も終了して仕事を辞めようと思っていた時に、篠宮君から連絡をもらって、いったんは断ったのですけれど、どうしてもと押し切られてしまいました」

ほのかに苦笑を浮かべつつ、そこには迷惑だという色はみじんもない。
その微笑みを見て、香子はふいに赤面してうつむいた。

あのホテル仕様のベッドメイキングもこの人のなせる業だろう。
そういえば、恭祐が言っていたではないか。
瑞人は決して情事の後の同じシーツでほかの人間を眠らせたりはしなかったと。
つまり、香子が瑞人と眠った後のシーツを交換したのはこの人なのだ。
いつも瑞人に夢中になり、一緒に眠る夜の喜びだけに溺れて、そんな当たり前のことさえ失念していた。

自分の迂闊さに、さらに頬が熱くなる。

篠宮恭祐から自分のことを告げられたこの人は、もう一人の相手が香子だということを知ったはずだ。
けれど、そんなことはおくびにも出さず、目の前で穏やかに微笑んでいる。
ハウスキーパーという仕事柄、クライアントのプライバシーに深く入り込むのは当然であり、情事の痕跡が色濃く残るベッドなど日常茶飯事なのかもしれない。
彼女はプロなのだ。

香子は動揺を気取られないように、きゅっと唇を引き結んだ。
何とか視線を上げれば、目の前の円城寺はゆっくりと部屋を見渡しながら、深々と息を吐いた。
「恭祐君はこの部屋を借りると同時に、私に連絡してきました。
彼にとってみれば無愛想なおばさんでしかなかったでしょうに、お見舞いに行った時にメモ書きしたメールアドレスを覚えていてくれたようです」
少しだけ改まった口調に、香子は警戒するようにうなずいた。
「それから週に2回、ここに通ってきているのですが・・・、彼が住んでいる気配はありません。
ベッドで眠ったのも、秋沢さんが初めてだと思います」

予想していたこととはいえ、香子は目を見張った。
「ベッドだけではありません、バスルームも使った痕跡がありません」

契約通り、週2回、円城寺は掃除とベッドメイクに通っているそうだ。
けれど、一度としてシーツが乱れていることはなく、バスタブに水滴が残っていることはなかった。
母親が用意したのか、日常生活に困らない程度の食器やキッチングッズなどは揃っている。
なのに、冷蔵庫の中は封も切っていない調味料が並ぶだけで、ミネラルウォーターやビールの類も入っていない。
冷蔵庫を開くたびに庫内を照らす光のむなしさに、電源を落とそうと思ってしまうほどだという。

「人が住まなくても埃はたまります。とはいえ、ほとんど使っていない部屋の掃除に90分も必要はありません。
だから、時々、私は掃除の後、少しだけこの部屋で過ごさせてもらっています。
彼からは、好きにしていいとお墨付きもいただいていますしね」

ほんの少しだけいたずらっぽく笑うと、円城寺はもう一度部屋の中を見渡した。
そのまなざしが、かすかな熱を帯びる。

「不思議ですよね。
この部屋は野木さんのご家族が引き払われた後、一度リフォームが入っています。
そして、一度は会社のほかの方が住むことになって、それから事情があって篠宮君が住むことになったと聞きました。
家具もカーテンやラグもみんな新しくなったのに、以前の部屋とはレイアウトも雰囲気も何もかも違うのに」

円城寺の言葉を追うように、香子も視線を巡らせた。

何もかも違う。
違い過ぎる。

なのに。

「なのに、野木さんの部屋でしかない」

円城寺のしみじみとした言葉に、香子は目を閉じた。

香子の肌がうっすらと熱を持つ。
空気が濃厚になり、めまいがかすかに襲う。

「篠宮君と、・・・あの子と初めてここで会った時、正直に言えばひどく驚きました。
女の方が、・・・秋沢さんの気配は感じていましたが、まさか真っ昼間、半裸の若い男の子がベッドルームから出てくるのと出くわすとは思ってもいませんでした。
今では笑い話ですが、私、その時、悲鳴をあげてしまって。
もっとも、篠宮君も、うわって叫んで、慌ててドアを閉めちゃったんですけれどね。
そのあとも何度か会ってしまいましたが、私としては、その・・・、野木さんのことは信用していましたが、男同士というのはやっぱり受け入れづらくて。
いつもつっけんどんな対応しかできませんでした」

懐かし気に円城寺が笑う。
声の甘さに、二人の男に対する大らかな想いが滲んでいる。
瑞人とは一回りほど、恭祐とは親子ほどの年齢差だと思うが、彼女は受け入れがたいとは思いつつも、仕事の枠を超えて二人を見守っていたのだろう。
5年間の自分の情事を指摘された羞恥には目をつぶり、円城寺の想いに寄り添う。

「けれど、篠宮君は、この部屋で暮らそうとはしません。
彼が使っているのは、あのグラスだけです。
時々、ワンフィンガーだけ残ったグラスがぽつんと置いてある。
私はそれを洗って、あのトレイの上に並べておきます。
食器棚のほかのグラスと並べておこうとしたのですが、どうしてもあのグラスだけが浮いてしまう。
食器棚に並んでいる食器やカトラリー類は、すべて高価なブランドものです。
葬儀の時に恭祐君の代理でご両親が参列していらっしゃいましたが、かなり裕福でいらっしゃることは一目でわかりました。
多分、ご家族が、あのお母様が揃えられたのでしょうね。
でも、あのグラスだけは違う。あれは、野木さんが使っていたものです」

香子は唇を引く結んだ。円城寺は香子を訝しげに見た。
「ご存じありませんでしたか?」
香子は首を振る。恭祐に聞かれたこともあったが、本当に香子には見覚えはなかった。
飲み足りなかったときや明け方に水を飲んだことはあったが、あのグラスではなかった。

円城寺は「そうですか」と言っただけで、それ以上踏み込もうとはしなかった。
それから、ふっと何かに誘われるように部屋の中を見渡した。

「あの子は、篠宮君はこの部屋でただ一人、野木さんを想って飲むのでしょうね。
野木さんへの想いは彼の心からあふれ、体を突き破ってこの部屋を満たして、それでも足りなくて膨れ上がって、ドアを開けた私はいつも後ずさりするしかない」

誰かに聞かせるというよりは、やるせないつぶやきのような言葉に、香子は昨夜の衝撃を思い出した。
リビングドアを開いたとたん、襲ってきた激しい痛み。

あれが、篠宮恭祐の野木への愛だというのか?

円城寺は香子に視線を戻すと、切なげに微笑んだ。
「篠宮君は、まだ野木さんが亡くなったという事実を受け入れていません」
「それは・・・」
「ええ、秋沢さんだってそうでしょう。愛する人が自分を置いて亡くなってしまうなんて、そんなこと信じられないのは当然です。
・・・でも、私たちは少なくとも、棺の中の野木さんに別れを告げました。
幸いお顔はとても綺麗でやさしい表情でしたね・・・。
だから、野木さんの死を信じられないけれど、二度と手の届かないところに行ってしまったのだという事実はわかっている。
けれど、篠宮君はそれさえできませんでした。
彼が意識を取り戻した時には、すべてが終わった後ですから。
私たちは葬儀に参列しながら野木さんの死を信じられないけれど、篠宮君は、野木さんが亡くなったことを信じていない。
彼が知っているのは、野木さんが自分をかばってくれたということだけですから。
篠宮君は昼間はオフィスで野木さんの気配に包まれて仕事をし、この部屋でも野木さんを追いかけている。
行き場のないままに、彼の想いはこの部屋に閉じ込められたまま」

まるで自分も野木を愛していたような口調に、香子は無意識に眉をひそめてしまったようだった。
それに気づき、円城寺はまた寂しく笑う。

「すみません、穿った言い方をしてしまって。
でも、実は私も夫をクモ膜下で亡くしておりますので。
まだ45歳にもなっていなかったのに、突然でした。
子どもおりませんでしたし、3年ほどは一人で泣き暮らして心療内科にも通いました。
シングルマザーだった夫の妹が見かねて、自分も登録している派遣会社に紹介してくれたんです。
お陰様で今は一人でもなんとか暮らしていけています。
・・・だから、篠宮君の気持ちが、・・・胸に痛くて」

そっと胸に手を当てる円城寺をみつめ、自分が思っていた以上に目の前の女性は年を重ねているのだと分かった。
40代半ばかと想像していたが、亡くなったという夫の年齢から考えると、彼女も50代半ばを過ぎているようだ。

しかし、と香子は小さく息を吐いた。
まるで何かの符牒のように、愛する人を亡くした人が自分の周りに集まっている。
単なるめぐり合わせというより、運命的なものまで感じさせる。

「でも」
円城寺が痛ましげな表情を上げた。
「不思議ですね、ドアを開くと、いつも息苦しいほどの空気に憑りつかれたように、しばらく動けないのに、今朝はひどく静かでした。
爽やかだと言ってもいいほどに。
三和土を見たら秋沢さんのパンプスがあって、ああと納得してしまいました」
香子の怪訝な表情を見て、円城寺はえくぼをに微笑をためた。

「だから篠宮君は秋沢さんにカードキーを渡したのだと思います。
あの子は、自分の想いを包み込んでくれる人を探している。
野木さんへの身を切るような想いを、理解してくれる人を待っている」

言いながら、円城寺は腰を上げた。
それから、思いついたように香子を見下ろした。

「実は、私は篠宮君とは1年ほど会っていないんです。
このお部屋を野木さんのご家族と片付けた後、形見になった二つのグラスを篠宮君に渡すために会ったっきりです。
ヘルパー依頼は電話でしたし、契約書も郵送でした。
お給料も振り込みですし、何か用事があればメールが来ます。
カードキーを秋沢さんに渡してあるから、出入りされるかもしれないというのもメールで知らせが来ました。
元気にしているのかしら」
香子はうなずいた。
「実は私、つい先日、偶然彼に会いました。
お互いに、その、連れがいたので、会話はしませんでしたが、元気そう・・・でした」

円城寺は安堵したように、にっこりと微笑んだ。
ふっくらとした目じりに長い皺が走る。
「私が申し上げるのもおかしいのですが、あの子を、篠宮君をよろしくお願いいたします」

深々と頭を下げ、円城寺は部屋を出て行った。
最後に「どうぞこの部屋でゆっくりと過ごしてくださいね。明日、改めてお掃除に来ますので、ご自由になさってください」と告げて。




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