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夢吐(うそつ)き

夢吐き 第二部-12

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自分とさほど年齢が変わらないような女性運転手に告げたのは、5年間、幾度も野木が告げていた地名だった。

マンションの風よけ室のパネルで、503を呼び出す。
汗をぬぐいながらしばらく待ったが、返答はない。
香子はためらいなくカードキーをかざした。
恭祐が押し付けてきたのだ。
勝手に入っても文句を言われる筋合いはない。

ドアを開くと、人の温もりとは無縁の冷え切った空気が迎え入れてくれた。
オートランプが照らす玄関の三和土には恭祐の靴はない。
目の前に揃えられたスリッパは、クリーム色の薔薇があしらわれていた。
香子の好きな花をいつリサーチしたのか。
否、瑞人は恭祐に香子の話をしていたのだ、寝物語に。
忘れていた屈辱を踏みにじるように足を滑り込ませ、そのつま先に導かれるようにほの明るい廊下を進む。

リビングドアを開き、勝手知ったるスイッチをオンにすると、まばゆい光があたりを満たした。

その刹那、香子の背筋におののきが走った。
息が詰まり、思わず胸を押えてその場にうずくまる。
恐る恐る視線を上げると、そこにはシーリングライトに白々と照らされたリビングルームが広がるだけ。
なのに、この濃密な空気はどうだろう。
まるでドアを閉じていたことで圧縮されていた空気が一度に解放されて、鋭い剣のように香子を突き刺したのだ。

胸の痛みが徐々に引くと、香子は大きく息を吐き、壁に手をついて立ち上がった。
そしてリビングを見渡す。
この部屋を訪れたのはもう半年以上も前になる。
あの時は運び込まれたままのダイニングテーブルやソファが壁際に置かれていたが、今はさすがにあるべきところに収まっている。
フローリングの床とスリッパがこすれ合う乾いた音をはばかるようにゆっくりと歩く。
ダイニングテーブル、イス、ソファ、サイドボード、一つ一つ、そのフォルムを指でたどってみたが、ひやりとした感触が伝わってくるだけで使われた気配は希薄だ。
今、流行りのお手軽北欧家具や量販店の家具ではないことは、その手触りやしつらえでわかる。
カーテンをはじめとするリネン類も、瑞人の時よりもクオリティが高いのも一目瞭然だ。
テレビもない。

ベッドルームものぞいてみたが、ホテルを思わせる見事なまでのベッドメイキングに、逆に寒々しさを感じてしまう。
バスタブや洗面台のシンクもきれいに磨き上げられていた。

まるでモデルルームじゃないかと嘆息をついた時、背後の空気が揺れた。
ぎょっと振り返った視線の先に、キッチンカウンターの上に見覚えのあるグリーンのボトルがあった。
ラフロイグとグラスだけが、途方に暮れた迷子のようにシルバーのトレイに並べられている。

香子はバッグをソファに置くと、カウンターに近寄った。
グラスにも見覚えがある。
あの夜のグラスだった。
香子が渡されたバカラのアルクールに似ているが、本物ではないことはわかる。
でも、恭祐は言った。
「あなたの思うように」と。
経済的に恵まれている恭祐が、理由もなくフェイクを持っているわけがない。

しばらく明かりにかざしていたが、やがて香子はラフロイグをワンフィンガーだけ注いだ。
まるで誰かに乾杯するように掲げると、明かり透かして琥珀色の液体がかすかに揺れる。
特徴ある香りに顔をしかめながら、そのひと口を煽る。

「野木、あなたなんでこんなお酒が好きだったの?」
惚れこむか激しく拒絶するか、ファンは両極端に分かれるというウィスキー。
なのに、ゲイなのかバイなのか、その境界線さえ曖昧なまま、自分の出自さえ受け入れてそれでも故郷に尽くしたいと夢を語っていた男が、なぜこの酒を好んだのか。

香子はもう一杯、グラスに注ぐ。
オイリーで濃厚な味と香りが口腔と鼻孔を強く刺激し、冷たい炎のように喉を焼いてゆく。

「私はこの部屋の夜しか知らないのよね」
つぶやきつつ、ラフロイグのボトルを手にした。
三分の一ほどしか残っていない液体が、ゆらりゆらりと誘うように揺れる。
「一人で、飲んでいるのかな、あの子。それともあなたが一緒に飲んでいるの?」

初夏にもかかわらず冷え切っていた体が、体の奥底からじんわりと温まってくる。
同時に、自分を包み込んでくれる気配にもたれかかるようにして、香子は床にくずおれた。


遠慮がちにドアをノックする音に、香子はゆっくりと頭をもたげた。
見慣れぬ景色に瞬きを繰り返し、薄い羽毛布団を跳ね上げるようにして飛び起きた。
遮光カーテンに守られたベッドルームはほの暗く、先ほどまで香子をくるんでいた温もりがひそやかに後ずさりする。
その優しさの裾をつかまえようと伸ばした手が、サイドテーブルの上のグラスにあたり、大きな音を立てて床に転がった。
残っていたラフロイグが飛び散り、濃厚な香りが立ち上る。

音に驚いたのか、ドアの向こうのノックは止んだが、人の気配は立ち去ろうとはしない。

勝手に入ってこないことから、恭祐が帰って来たのかと香子は慌ててベッドを降りた。
カードキーを渡されたとはいえ、不法侵入したあげく人のベッドで勝手に眠ってしまったのだ。
バツの悪さを誤魔化すように無造作にドアを開き、「ごめんなさい」といったとたん、香子はフリーズした。
そこに立っていたのは恭祐ではなく、ぽっちゃりとした中年の女性だった。

「おはようございます」
狼狽して言葉を失っている香子とは対照的に、彼女は穏やかに言った。
「あの・・・」
「起こしてしまって申し訳ありません。秋沢さん、でしょうか?
野木さんの葬儀の時に一度お会いしましたが」
かわいらしいえくぼだな、とぼんやりと思いつつ、香子はかすかにうなずいた。





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