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夢吐(うそつ)き

夢吐き 第二部-11

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数日後の深夜、香子はベッドルームの壁に向かって立っていた。
ベージュの壁紙が張られた壁に手を這わせると、隣の生活音なのか、かすかに伝わってくるものがある。
確か隣は新婚夫婦だった。
対照的なレイアウトなので、彼らもこちらをベッドルームにしているはずだ。

この壁に耳をあてれば、彼らの歓喜の声が聞こえてくるだろうか?
5年間の間に、野木は数回しかこの部屋に来なかったけれど、私たちの声は隣に聞こえただろうか?

聞こえてほしかったと思う。
隣人が腹立ちまぎれに壁を殴りつけたくなるほどに聞こえていればよかった。

香子は拳を握ると右手を引いた。
そのまま目の前の壁を殴りつける。
さすがに壁直前でひるみ、壁は軽い音を立てただけだった。
それでも衝撃は想像以上で、香子は右手を抱えて後ずさりした。
拳を見れば、明日は腫れあがるかもしれないと思うほどに赤くなっている。

軽く殴っただけでこれほどの痛みか。
佐川がどれほどの痛みに耐えていたのか、香子は自分の拳を抱きしめるようにしてベッドの上に転がった。
まるでそれが合図だったように、放り出されていたスマートフォンが鳴り出した。

―――なんで佐川君じゃ、だめなの?
いきなり紗月が切り出す。
―――さっきまで彼、我が家で一緒に飲んでいたのよ。
彼には珍しく今夜はよく飲むなぁって思っていたら、最後に『秋沢さんに振られた』って言いだしたの。
今夜はうちに泊まっていけって東がしつこく言ったんだけれど、帰るって言い張るから、彼が駅まで送っていったの
佐川君、かなり落ち込んでいた

「止めてよ。私、佐川さんとは何もない。振るとか振らないとか、そんな関係じゃない。
確かに食事もしたし、お酒も少し飲んだ。でもそれだけ。
野木が亡くなって1年半しかたっていないのよ」
―――野木さんのこと忘れろなんて言ってない。
何より、佐川君だって亡くなった奥さんを簡単に忘れるはずないじゃない。
でも、佐川君とだったら・・・
「同病相哀れむって言いたいの?孤独を埋め合わせるためにふさわしい相手だと?
普通ではない過去を持っている同志だから、理解しやすいと?」

紗月が息をのんだ気配が、耳に痛いほど伝わってきた。
一瞬、頭に血が上り、言葉が迸ってしまった自覚はある。

―――・・・私が、そんなに無神経な女だと思ってたの?
それに普通って何よ、そんなこと言うんだったら、私と東だって普通じゃないわよ。
教授の祝辞、聞いたでしょう?10年前に学生課まで巻き込んで大騒ぎして別れたのに、10年ぶりにばったり再会して、あっという間に結婚しちゃったんだから
香子、あなたいつからそんな馬鹿になったの?

電話の向こうで、紗月の怒りが膨れ上がったのがわかった。
彼女が瑞人が亡くなって以来、何かと気遣ってくれたのはわかっている。
やり場のない悲しみや怒り負のオーラを振りまいていた時も、周囲をなだめ、あらゆるところでかばってくれたことも知っている。
多分、香子が知らないところでも、紗月は気苦労を重ねていてくれたに違いない。

―――香子が私たちの結婚式を内心、田舎丸出しだと呆れていたのはわかっている。
招待客の半数が家族や親戚だなんて、こっちじゃ珍しいものね。
冠婚葬祭でもない限り会わないような遠い親戚まで駆けつけてきた。
このトシになっても幸いなことに私たちの祖父母も健在、兄弟も多い。
だから、私も東も、愛している人をいきなり理不尽にも奪われる哀しみを知らない。
想像はしてみても、それが本当に的を射ているのかさえ分からない。
いくら香子のそばにいて慰めようと励まそうとしても、香子にとって正解なのかどうか、いつも迷いはあった。
・・・でも、結局、私はあなたを傷つけたってことよね
「違う、そんな意味じゃ・・・」
―――でも、これだけは言っておく。佐川君は、本当に誠実な人だと思う。
少なくとも・・・

少なくとも。

香子は紗月が言いよどんだ苗字が鮮明に聞こえたような気がした。

「野木は違う」

電話の向こうで紗月が深々とため息をつく。
―――仕事はできる人だった。クライアントの要望とリアルな状況を瞬時に把握して立案して実行してくれた。
あれだけの容姿をしていながら、事務所のスタッフにどんなに探りを入れても女性とのうわさ話は一つも聞かなかった。
多分、付き合っていたのは香子だけだったんだと思う。
・・・でも、本当に「付き合って」いたの?
5年間、あなたまともなデート一つしてなかった。・・・確かに、普通ではなかったわね
「止めて。私は野木を愛していた」
―――そうね、あなたは愛していた。
でも、野木さんは?・・・野木さんは、あなたを愛していた?彼は誠実だった?
篠宮恭祐君は、彼の何?あの子もあなたも彼に振り回されただけだった。
・・・野木さんは、自分の夢だけ語る嘘吐きだった
「そういうあなただって、付き合ってきた男は・・・」
―――言われるまでもないわよ。就職後、付き合った男は3人。
みんな私のお金か、セックス目当て。あるいは両方目当てのクズ男ばっかり。
当時は愛していると思っていたけれど、完全なダメンズウォーカー。
振り返ってみれば黒歴史でしかないわよ

吐き捨てた紗月に、香子は言葉を飲み込んだ。
売り言葉に買い言葉で言い募ってしまったが、お互いに踏み込み過ぎた。
知り合ってから11年、気の強さは自他ともに認めるところで、どちらがトップを取るかは譲り合ってきたものだが、これほどに痛いところをえぐりあったことはなかった。
辛辣なことを言っては来たが、お互いのプライバシーは尊重しあい、紗月が愚にもつかないクズ男と付き合っているときも、香子は彼女の愚痴とものろけともつかない繰り言を聞くにとどめていた。

苦言や忠告に耳を貸さないことは、自分を振り返らずとも自明だったから。
痛い目を見なければ、否、痛い目を見ても懲りない性格だったからこそ、紗月は東と再会するまでシングルでいられた。
そう思えば、決して無駄な経験ではなかったのかもしれない。

けれど、私は?
野木。
どうして夢を語るだけで、一人で逝ってしまったのか。

―――香子
沈黙してしまった香子の耳に、紗月の声が深く響く。
―――馬鹿な恋愛ばかりしてきた私だからこそ、言えるの。
結婚して頭の中がお花畑だからと軽蔑してもいい。
でも、はっきり言える。野木さんは、決して誠実な男ではなかった。
ある意味、不誠実でもなかったのかもしれない、あなたはいつも幸せそうだったから。
でも、あなたほどの女を5年間、いいえ、亡くなってもなお、あなたの心を縛り付けている野木さんは、・・・そうね、香子、あなたは認めないけれど、あなたは野木さんを憎んでいるのよね、いろいろな意味で
「え?」
―――香子、あのね、私、来年、母親になるの。だから、飲みに誘わないでね

ひそやかに電話が切れる。

香子はスマートフォンを握りしめて、むなしい音を聞き続けていた。

そうか、紗月は望み通り赤ちゃんを授かったのか。
そして私はここで、うずく拳で電話を握りしめているのか。

どれほど呆然としていたのか。
香子は我に返るとスマートフォンをバッグに放り込み、部屋を後にした。
デニムとスキッパーブラウスだけれど構うものか。

大通りまで走ると、大きく手を上げる。
空車のランプを赤々と灯して、小型タクシーが近づいてきた。






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