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夢吐(うそつ)き

夢吐き 第二部-10

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店の前で別れる前、佐川はさりげなく、「これ、俺のアドレスです」と、名刺を差し出した。
その名刺を見て初めて、佐川が国家公務員だということを知った。
配属先名はやたら長く、仕事内容は想像もつかない。
名前の下に、スマートフォンらしい個人のメールアドレスがペン書きされている。
より気安いラインIDではないことに安堵して、香子は頭をあげた。
思っていたよりも近くに佐川の顔があった。
「・・・初めて妻のことを、いえ、妻と私のことを初めて話しました。
申し訳ありませんでした。重かったですよね」

否定も肯定もできない。
けれど、佐川の表情が心なしか明るいことに気づき、香子は小さく微笑んだ。
5年間、一人で抱え込んでいた哀しみを、そのひとかけらでも吐露したことで、少しだけほっとしたのかもしれない。
月日が彼の中の妻との日々を浄化してくれたのか。
過去形でしか語れない妻を、佐川も認め始めたのか。

佐川の一人称がまた「私」に戻っている。
その距離感はありがたい。

二人の使う地下鉄の路線が違うので二人は店の前で別れた。
「ではまた」と佐川はいい、香子は曖昧に微笑んだ。
彼に背を向けて顔を上げた途端、香子は期せずして「恭祐君!」と叫んでいた。

目の前で男二人が揉めていた。
すぐそばのワインバーからもつれるようにして出て来たばかりのようだった。
二人ともスーツ姿だったが、年かさのほうの男は酔っているのか、モデルのようにすらりとした若い男に絡みつくようにして抱きついている。
背伸びしてなんとか顔を近づけ、耳たぶをくすぐるようにして何かを言っている。
嫌悪に顔を背けている若い男は恭祐だった。
ブリーフケースを密着してくる男と自分の間に挟んで距離を取ろうとしているが、酔った男の執着は引きはがせない。

香子の声に、恭祐はぎょっと顔を上げた。
その表情さえ、いや、そんな表情だからこそ息をのむほどの容貌だと、香子は場違いにも思ってしまう。
しかし、彼は唖然としている香子を認めると、自嘲するように形の良い唇を歪め、執拗に纏いついてくる男を思いきり突き放した。
男は女性の二人連れにぶつかり、黄色い悲鳴が上がる。
男はしりもちをつき、行き交う人達は見ないふりして足を速めてゆく。
巻き添えを食った女性二人は小声で男をののしりながらその場から駆け去り、男は恥辱に顔を赤くして「何する!」と悪態をついた。

恭祐はその男を睨んでいたが、ふいッと顔を背けると立ち去ろうとした。
男は酔っているとは思えない素早さで立ち上がると、恭祐の腕をつかんだ。
力任せに恭祐を引っ張り、自分のほうを向かせようとする。
その反動で恭祐の眼鏡が吹っ飛ぶ。
抗う恭祐を抑えつけようとする男の様子に我に返り、香子は二人に駆け寄ろうとしたが、それより早かったのが背後から駆けつけた佐川だった。

恭祐を殴ろうと振り上げた男の手をつかむと、二人の間に大きな体をこじ入れた。
「そこまでです。ここで暴力をふるうと警察が呼ばれてしまいます。
あなたのほうが不利です。このまま帰った方がいい」

自分よりはるかに大柄な佐川に立ちふさがれ、男は顔をひきつらせた。
屈辱に真っ赤になった顔がネオンの薄明りの中に浮かぶ。
それでも何とか尊大さを取り戻し、男は佐川の腕を振り払った。
曲がってもいないネクタイを直し、そっぽを向いている恭祐に「上条には今夜のことは言っておくからな」と捨てセリフを投げつけると、香子や佐川をひと睨みして背を向ける。

その背中が見えなくなると、香子は佐川に向き直って「ありがとうございました。助かりました」と頭を下げた。
それから、恭祐を振り返る。
彼は憮然としてそこに立っていた。
唇をぐっと引き結び、尖った目で香子と傍らに立つ佐川を睨んでいる。

「恭祐君」
歩み寄ると、彼が不機嫌そうに顔を背ける。
「大丈夫?今のは知っている人?」
「・・・クライアント。上条さんとこにお子さんが生まれたから、俺が代わりに接待に駆り出された」
しぶしぶと答え、それから思い出したように、男が口づけしたがっていた耳を乱暴にぬぐう。

恭祐は大きく息を吐くと、香子の背後に立っている佐川に視線を向け、それからもう一度香子をみた。
一瞬、その口元に下卑た笑いが浮かびかけたが、それはすぐに白けた表情に紛れてしまう。
恭祐はブリーフケースを持ち直すと姿勢を正し、佐川を真正面からしっかりと認めてから、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました。助かりました」
けれど、その姿勢のまま転がった眼鏡を拾い上げ、視線を合わせないまま背を向ける。
「恭祐君」
香子は思わず声をかけたが、彼は逃げるように雑踏の中に紛れ込んでいった。
迷い込んでいったというべきなのかもしれない後ろ姿で。

「知り合い、ですよね」
佐川が言う。何と答えるか一瞬迷い、「すみません、助けていただいたのに、失礼な態度を取ってしまって。・・・弟、です。その、好きだった人の」。
隣で佐川が大きく息を飲むのがわかった。
それから、微笑む気配。
「弟、さんですか。つかぬことをうかがいますが、今の彼と亡くなった秋沢さんの恋人だった方は、似ていましたか?」
一瞬、香子は逡巡したが、深くうなずいた。
「はい。本当によく似ています。特に眼鏡をかけた顔は、びっくりするぐらい」
「そうですか。あなたの恋人はかなりのイケメンだったのですね」

感嘆するような声音に、香子は思わず佐川を仰いだ。
彼が怪訝な表情で見下ろしてくる。
「佐川さんでも『イケメン』なんて言葉使うんですか?」
「って、使いますよ、俺だって」
「似合わない」
言ってしまってから、香子は慌てて口を閉じた。
佐川がちょっとだけ睨むふりをして、それから笑う。
こわもての男の笑顔は、ひどくあどけなかった。
香子もその笑顔に引き込まれてしまう。

「あ、笑いましたね、秋沢さん」
「え?」
「はじめてですね、秋沢さんが声を立てて笑うの」

香子は両手を口元に寄せた。
確かに唇の端が上がっている。

「よかった。今夜は俺の話を一方的に押し付けてしまって、なんていうか、本当は後悔していました。
今夜は彼には災難だったかもしれないけれど、彼に会えて秋沢さんはどこか安堵している。
だから、笑ってくれた。彼に感謝します」
恭祐が消えた方向を眺めながら、佐川はまた微笑む。
「弟さんと会うのは久しぶりだったんですか?」
「半年ぶりくらいですね。・・・命日に会いましたから」
「ああ・・・」
ため息のように吐き出された声に、香子は佐川を見上げた。
それから、同じ方向を見る。

「佐川さんのおっしゃる通りです。彼は、私の大好きだった人は、本当にイケメンでした。
大学時代は男友達とばかりつるんで、『美貌の無駄遣い』って女の子たちに散々言われていました。
私も大学時代から憧れて、焦がれて、6年前に仕事関係で再会した後は、もう、もう夢中になるしかなかった。
彼が今、私のそばにいないなんて、私の心は信じない。
あの子も同じです。
彼も恭祐君も、少しだけ複雑な環境で育っています。
経済的には恵まれていたから、誰も二人の魂が傷ついていることに気がつかなかった・・・、ええ、私も。
愚かなことに、私も本当に気付いていなかった。
彼はいつも飄々としていて笑っていて、7つ年下の恭祐君の魂は、多分、彼以外の人には包み込めなかった」
「・・・なんだか・・・、訳ありの兄弟ってカンジですね」
「・・・」
「でも、凄みを帯びていましたね、彼。
あれじゃ、男でも女でもつい手を出したくなる気持ちもわかる」

香子の肌が一瞬、ざわりと震えた。
佐川は香子の動揺には気づかなかったようだが、香子は唇をかみしめる。

「命日に会ったとき、目がすさんでいた。
・・・恭祐君も私も、彼がいないことに戸惑うばかりです」
「あの子の部屋の壁には、穴が開いているかもしれませんね」
「穴?」
「感情の持って行き場がなくて、壁を殴るんです」
「佐川さんも壁に穴を?」
「ぼこぼこでした。
・・・苦しんでいる彼女の手を握って励ますしかできない無力な自分が歯がゆくて壁に当たりましたし、あまりに理不尽な運命を呪って壁を殴りました。
彼女が亡くなった後は、寂しくて辛くて、・・・泣きたくても泣けないって言うんですか、自分に痛みを与えないと、生き残ってしまった自分に罰を与えないと耐えられなくて、壁に八つ当たりですよね。
壁一枚の二世帯住宅ですからね、隣の両親はたまらなかったと思いますよ。
それでも、何も言わずにそっとしておいてくれた。
さすがにこちらに戻ってくる前にリフォーム代は置いてきましたけれどね」
「壁の代わりがあのスポーツバーですか」

視線を遠くに向けたまま、佐川が肯定の笑みを浮かべた。
「あ、でも、彼、誤解したかもしれない」
「誤解、ですか?」
「秋沢さんと私のことを」
ああ、と香子は息を吐いた。

まるで迷子のような背中を見せた恭祐は、「誤解」しただろうか?
瑞人とはまるで正反対のタイプの男と私の仲を?

「佐川さん」
「なんでしょう」
「7年前、奥様、萌音さんとの結婚が決まったとき、・・・その、ほかにお付き合いなさっていた方はいらっしゃらなかったのですか?」
「・・・いました。まだ結婚は具体的にはなっていませんでしたが、大学のラグビー仲間の妹で、付き合って2年目でした。
いまだにその友人とは絶交状態ですが、彼女は結婚して今は二児の母だそうです。
萌音も俺も、救われました」

苦い思いを飲み込むためにか、佐川の大きなのどぼとけが上下した。
香子が視線を向けると、佐川も見返してくる。
逆光なのに、彼の目の奥に宿る光が射てくる。

「もう少し、歩きましょうか?」
語尾は上がったのに、佐川の中では確認に近い意味だったのか、先に歩き出す。
一瞬、躊躇し、香子もあとを追う。
夜のきらびやかな街には恋人たちが溢れていた。
その一組のように、二人も流れに乗って歩いてゆく。

いつ、佐川に抱き寄せられたのか、気付くと彼の心臓の音を聞いていた。
ショーウインドウや街灯の明かりの狭間、賑わう通りからほんの数歩入った路地の薄明りの中で、二人は寄り添っていた。
スーツを通しても佐川のがっしりとした胸の厚さがわかる。

「すみません、少しだけ、甘えさせてください」
固い筋肉が震えて、そう伝えてくる。
「今夜は、妻と私の話を聞いてもらった。
そして、あなたの愛した人にそっくりな弟にも会った。・・・なんだか、たまらない」
切なげな声が、香子をさらに抱き寄せる。
香子は動かなかった。
ただじっと佐川の大きな肺が息を深く吸って、また深く吐くのを目を閉じて追いかける。

「佐川さん」
「はい」
「私の部屋の壁は・・・、きれいなままです。
隣の人の迷惑になるから壁を殴ることはできないし、下の人の迷惑になるから地団太を踏むこともできない。
でも・・・、見えない壁は殴り続けています、私も」
「私は、あなたの壁代りにはなれませんか?」
「彼は、突然いなくなってしまった。
恭祐君も私も、怒りをどこにも持っていけず、ただ嘆くしかできません。
この1年半、苦しくて苦しくて逃げ場ばかり探していた」
「わかります」
「・・・今、この瞬間も、佐川さんの心臓の音を聞きながら思うのは彼のことです。
彼が思い出になってしまうのはつらい。
いつか佐川さんのように、愛した人のことを誰かに語れるようになるのかもしれない。
でも、いまはまだ無理です。
過去形で話すたびに、心のあちこちが破れてしまう。
・・・私は、佐川さんが奥様のことをしみじみと語られたのを、心のどこかで拒否している。
いつか、何年かたって、私も彼のことを過去形で語るようになるのかもしれないと思うと、嫌悪している自分がいます。
・・・佐川さんとは近すぎる」

佐川の心臓が、さくんと、音を立てる。
それから、ふふっと厚い胸が揺れた。

「・・・妻の話をするんじゃなかった」

自分を包んでいた温もりが静かに離(はが)れるのを、香子は目を閉じたまま受け入れた。

「いつか・・・、亡くなった方と秋沢さんの話を、聞かせてもらえる日が来るかもしれないと思っていました」
香子はゆっくりと首を振った。
「そうでしょうね」
声が自嘲の笑みを含んでいる。
「あちらに通り抜ければ駅は目の前にあります。駅まで送りません。気を付けて帰ってください」

佐川が明るい場所へと戻るのを見送り、香子は一瞬、ふらついたヒールをしっかりと踏みしめた。
路地の奥から現れた若いカップルが、哀れむような視線を残して通り過ぎてゆく。
反対側の通りから入ってきて、佐川と香子が交わしていた言葉を聞いたのかもしれない。
その二人が通り抜けていった後、香子は彼らが入ってきた方向へと踵を返した。

明るい方へ明るい方へ。
路地を抜けた途端に広がる眩い世界へと、香子は逃げるように駆けだした。





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