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夢吐(うそつ)き

夢吐き 第二部-8

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紗月にも誘われたが、香子は佐川のラグビーの試合を応援にはいかなかった。
これ以上、お互いに踏み込むのは避けたい。

亡き妻を悼む佐川と瑞人を喪った哀しみを抱えきれずにいる自分と。

だから、ひと月後、なぜあのスポーツバーに行ってみようかと思い立ったのか、自分でも説明がつかなかった。
仕事中にふと気になりホームページで確認すると、その夜が「狂乱の夜」だということが分かった。
あの夜は頭の奥までずきずきと痛むほどの騒音に、引っ張っていった佐川に対して腹を立てたというのに、またあの音の洪水に身を浸したいという衝動にかられた。
その日はクライアントとの商談がうまく運ばず、以前なら紗月に愚痴って気分転換をしていたのに、今ではそれもかなわないという鬱屈と寂しさが関係していたに違いない。

仕事でもプライベートでも一人ぼっちになってしまった・・・。
実際は男ばかりとはいえ、営業成績優秀な香子を尊敬し見守ってくれる同僚や上司、後輩もいる。
両親や兄夫婦も何かと香子を心配してくれる。
実家に帰れば気の置けない地元の友人も多いし、大学時代からの友人ともランチもできる。
専業主婦となった紗月とだって、電話一本すれば気楽に会える。

なのに、冷たいガラスの器を満たすように、寂しさはひたひたと容量を増し、溢れそうになっている。

いっそのこと溢れてしまえと香子は思う。
あの鋸やカンナのように神経を削ってゆく音の中にいれば、寂しさも粉々に砕けてしまうのではないかと思う。

ドアを押し開けると、また大音響の圧力に押し返されそうになった。
ぐっと踏みとどまり、思い切ってその音の渦に身を投げる。
照明を絞った店内には、想像以上の人が集まっていた。
もっともみんな無言でグラスを傾け、中には騒音に酔うように体を揺らしている人やごちゃまぜの音の中に自分だけの音を探すように目を閉じて耳を澄ましている人までいる。

いくつかあるテーブルはほとんど埋まっており、香子はスツールのあるカウンターへと向かった。
7つあるスツールは二つ埋まっていたが、香子は一番隅を選ぶ。
香子に気づいたマスターがうなずくようにしてオーダーを求める。
香子は「ビール」と言ったが、口の動きで悟ったか、また彼がうなずく。
いずれにしろ、大音響で声など聞こえない。
オーダー間違いがあっても、お互いにそれで納得するのかもしれない。
どうせ、狂乱の夜なのだ。

すぐに香子の前にはスリムなグラスが置かれた。
その場で支払い、ぐっと煽る。
思っていたよりも冷たく、喉がきゅうっと閉じる。
その痛みに顔をしかめながら視線を動かした時、香子は思わず声を上げそうになった。
スツールを一つ置いて隣に座っているのは見知らぬ男だったが、その向こう、カウンターに頬杖をついているのは、佐川だった。

彼は一人だった。
連れがいないという意味ではない。
音の濁流も彼の周りだけは避けて渦巻いているようだった。
耳をつんざくような音なのに、彼だけはひどく静かな空気をまとっている。
彼の前には、琥珀色の液体が半分ほど入ったグラス。
付き合いの長いというマスターとも言葉を交わすわけではなく、ただぼんやりと目の前の酒棚を見ている。

香子は少しだけ体を引くと、隣の男の陰に入るようにして佐川をうかがい見た。
けれど、音の奔流に視線の気配さえ砕かれるのか、彼は香子に気づかない。
香子はできるだけさりげなくビールを飲み干すと、そっと席を立った。

店の外に出ると、やはりほっとする。
月に一度とはいえ、あんな狂気じみた夜はやはり願い下げだと、つい数時間前にこの店に行ってみようかと思った自分を責めたくなった。
それに、あのマスターはあの環境で一晩中過ごして、聴覚も神経もおかしくならないのだろうか。

いや、以前、佐川が言っていたではないか。
マスターも何かを抱えているのかもしれないと。
月に一度だけ、魂の咆哮のような一夜を過ごすことでそれに耐えているのかもしれない。
あるいは、昇華しているのか。

香子は自分の愚かな思い付きを振り払うように、さっさと店のドアに背を向けた。
流れるように交差してゆく人の群れに紛れ込もうとして、いきなり背中を襲ってきた大音響に足がすくむ。
同時に「秋沢さん!」の声に思わず足を止めてしまった。
振り返るとドアを抑えつけるようにして固く閉じた佐川がそこに立っていた。

店の目で向かい合ったものの、お互いなんと言い出すべきか迷う。
結局、「どうも恥ずかしいところを見せてしまったようですね」と、先に佐川が頭をかいた。


二人が入ったのは近くのカフェレストランだった。
「ここは秋沢さんのクライアントではないのですか?」
冗談めかして言う佐川に、「この街にどれほどの飲食店があるか、ご存じでしょう?すべてが私のクライアントだったら、私、自分の会社が買い取れるわ」と、呆れるように返す。
そのやり取りで、二人の間にあったぎこちなさが消えた。
「飲みなおしませんか。いや、軽く食事でも」と、先に誘ったのは佐川だった。
二人きりで酒を飲むのはまだはばかられ、結局、小腹が減ったという佐川の希望もあって無難にカフェレストランになったのだ。
居酒屋では砕けすぎる。

「何かあったんですか?」
そのセリフは私のセリフだと思いながら、香子は返事の代わりに曖昧に笑った。
二人の共通の話題、つまり東と紗月夫婦の話でもったのは、彼がオーダーしたローストビーフサンドイッチが彼のおなかの中に消えるまでだった。
満足そうに食べ終わると、彼はゆっくりとコーヒーを飲んだ。
そして、先のセリフだった。

香子が答えないのをみて、佐川はうっすらと苦笑を頬に張り付けた。

野木は口角を上げることで様々な表情を見せたけれど、この人は頬で笑うんだと、香子はぼんやりと思う。
頬の面積が広いだけに、表情も豊かであることは確かだった。

「私は・・・、ひと月前の、秋沢さんを無理やり連れて行ったあの日ですね、あの時も秋沢さんを見送った後、もう一度戻りました」
ああ、やっぱりと香子は内心でうなずいた。

「あの前日、地元に帰っていました。妻の祥月命日のために」
香子がかすかにうなずいたのを見て、また寂しげに笑う。
「妻が亡くなって5年になります。
四十九日の法事の時に義母から、私の結婚指輪は妻の結婚指輪とともに骨壺に入れて納骨してほしいと願われました。
母も、私の母も同意し、私は怪訝な思いをしながら指輪を外して義母に渡しました。
私の目の前で義母は二つの指輪を小さなレースの袋に収め、骨壺の中に入れました。
『これでいいよね』って妻にささやきながら。
妻の骨は、もちろん佐川家の墓に収められています。
そして先月、墓参りをした後、義母から『もう娘のことは忘れて新しい人生を歩んでほしい』と言われました。
もう5年たったのだと。
あなたの義務はとっくに終わっている、申し訳なかったと。
義母の隣には私の母もいて、二人から『ありがとう』と頭を下げられました」
佐川の話の内容がどこか芝居がかっていて、香子は怪訝に見返した。
何よりも「義務」という言葉が引っかかる。

「私のこの5年は義務だったのかと、自分で愕然としました。
妻を想って過ごしてきたのに、二人の母親にとっては義務にしか見えなかったのかと。
私の7年間は、いったい何だったのかと」
自嘲的につぶやかれて、香子は少しだけ身じろぎした。
そのいたたまれなさが言葉になってしまう。
「あの・・・、おっしゃっている意味がよくわかりません」
「・・・そうですね、そうでしょうね、当然です。
二つ年下の妻とは幼馴染でした。
母親同士が高校の同級生だったので、家族ぐるみの付き合いをしていたので、彼女は妹みたいなものでした」

佐川は高校卒業後、地元を離れ大学に進学した。
電車で3時間もあれば地元に戻れるという気安さが、逆に地元から足を遠のかせた。
長期の休みはラグビー部の合宿や試合、そして遠征費を稼ぐためのバイトでつぶれた。
就職もこちらでしたので、彼女と会うことはなかった。
彼女は2年遅れで地元の大学に進学、一人娘だったので父親が地元を離れることに難色を示し、就職も地元の銀行を選んだという。
その二人が結婚したのは、今から7年あまり前。
佐川が26歳、彼女が24歳になる直前のことだった。

唐突に始まった佐川の昔話を訝りながら、香子は黙ってうなずいていた。
スポーツバーを出てから1時間近くたっていたが、彼が思っていた以上に飲んでいたことに香子は今さらながらに気がついた。
彼は酔いが顔に出ないタイプだったようだ。
酔いに任せて昔話を繰り出してきたようだ。
しまったと思ったが、既に手遅れだった。
残り少なくなったコーヒーを形だけ口許に運びながら、彼の話がどこへ行くのかと不安になる。

妻の思い出話に付き合うには、まだ自分のほうが心の傷が新しいのだから。

「7年前の8月に、私の祖母の7回忌があって地元に帰ったんです。
法事は無事に終わったんですが、両親がひどく落ち込んでいる。
その夜、実家に一泊したんですが、彼女の母親が訪れてきて、応接間で母親と何か話し込んでいる。
あまり気にしていなかったのですが、父も応接間のほうを気にしているし、彼女の家に何かあったのかと、まぁ、その時は気軽に尋ねたのですが・・・」

実は、そのひと月前に彼女は体調を崩し、入院していた。
いくつかの検査の結果、乳がん、それもすでにステージ4で手術もかなわない状態だという。
既に彼女も自分の状況は知っていた。
抗がん剤投与などの緩和治療は継続されるが、既に余命も宣告されている。
彼女の母親は気丈に振舞う娘の前で泣くこともかなわず、佐川の家に来ては母親とともに嘆き悲しんでいたというのだ。

佐川もショックを受けた。
ここ数年、会うこともなかったが、もともと家族ぐるみの付き合いがあり、妹のようにかわいがっていた。
否、実は、彼女から淡い想いを寄せられていたことはわかっていた。
しかし、自分にはそれに応えるほどの恋心はなく、知らぬふりをしてきたという過去があった。

佐川の淡々とした声に、香子は絶句した。
これほど重い話になるとは予想もしていなかった。
けれど、佐川はここまで来たらすべて話してしまおうと思っているのか、香子の困惑には気づかぬふりをしてしゃべり続けている。

新しいコーヒーがほしい。
香子は切に願った。
もうカップは空になり、底も乾き始めている。

「でも、私にはどうすることもできない。
両親と彼女の母を前にして無力感は感じましたが、翌日、こちらに戻った。
けれど、母は、私も事実を知ったことで重荷を分かち合えると思ったのかもしれない。
いや・・・、今ふり返れば、すべてはそのあとにつながる伏線だったのかもしれません。
時々電話をかけてきては、『まだ24歳なのに、まだ結婚もしていないのに』と泣くようになりました。
内容が内容なだけに無下に電話を切ることもできず、家も男兄弟だけですから、母も彼女のことを娘のようにかわいがっていたんですね。
家には私とはまるで似ていない兄がいまして、母親の本音としてはその兄と彼女をいずれ結婚させたいと願っていたようです。
美男美女の組み合わせになりますから。
もっとも、兄はその当時、海外勤務でアメリカにいましたし、弟はまだ大学生でした」

彼女は自分の余命を知りながら、懸命に治療を続けているという。
一度、彼女を励ましてくれないかと母に請われ、シルバーウィークに帰省した佐川は、久しぶりに再会した彼女の美しさに圧倒されたという。
昔は、頬のふっくらとしたかわいい少女だったが、自分の過酷な運命を知ってなお気丈に振舞う24歳の女性は凛として、安易な慰めは拒否していた。
懐かしい彼女の部屋で二人きりで言葉も交わしたが、愚痴るわけでも嘆くわけでもなく、淡々とした健気な姿に、危うく佐川のほうが涙ぐみそうになったという。
それでも、言葉の端々に隠し切れない焦りと恐れがにじみ出てくる。
結局、佐川は耐え切れず、早々に彼女の前から離れた。




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