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夢吐(うそつ)き

夢吐き 第二部-7

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佐川はドアを開いたとたん、香子を大嬌声の中に放り込んだ。
驚きのあまりフリーズすると、「こっち」と佐川が手を引っ張る。
薄暗い店内には、様々な歓喜、狂乱、罵声が渦巻いていた。
もつれそうな足を何とか動かして佐川に引っ張られながら、喧騒の中を泳ぐようにして壁際のテーブルに着く。

「ここで待っていてください」とジェスチャーで示し、佐川はすぐにカウンターへと泳ぎだす。
香子は隣のテーブルで怒鳴るようにしゃべっている二人組をしげしげと眺め、それからあたりをゆっくりと見回した。
すべてふさがっているスタンドテーブルと色の形もばらばらなボトルが無秩序に並ぶカウンター、BGM代わりにガンガンに流れているのはどこかの国のバスケットボールの試合中継で、店内の四つの角に設置されている壁掛けテレビでは、野球、卓球、バレーボール、サッカーがそれぞれ放映されている。
単独で聞けば見事な実況中継なのかもしれないし、白熱した試合なのかもしれないが同時放映されてしまっては騒音でしかない。
壁には様々なフラッグが入場行進のように整列し、香子の頭上にはバスケットボールゴールのネットがぶらぶらとぶら下がっていた。
スポーツバーだった。
それにしても、なんとエキセントリックなのか。

何よりも香子を圧倒するのは、凄まじいまでの喧騒だった。
隣の二人組は大声を張り上げて話しているが、そのほとんどはBGMやボリュームを最大限に上げたテレビの実況中継の絶叫にかき消されて香子には聞こえない。
うねるような大歓声、拍手、地鳴りに近い太鼓と甲高いラッパの響き、耳をふさぎたくなるような大音響の渦に揉みしだかれ、揺さぶられ、香子自身も大声を上げたくなるような衝動に突き上げられる。
思わず逃げ出そうとした時、目の前に白色のカクテルが差し出された。
塩の粒がグラスを縁取っている。
「マルガリータ?」
つぶやくように言ったのに、口の動きで佐川には分ったらしい。
彼はグラスを顔の前に掲げると、ぐっと煽った。
それから、仕草で香子にも勧める。
香子の困惑を愉しんでいるかのような表情にむっとして、香子もそのカクテルを飲み干した。

にっと佐川が笑う。
思わず香子が声を張り上げようとすると、佐川は自分の人差し指を唇に当て、「黙って」と強制する。
香子はぐっと唇を引き結んだ。

自分を包む騒音は相変わらず雑音ばかりで、頭の奥深くまで無理やり突き刺さってくる。
耐えがたくなり耳をふさごうとして、佐川の手に押しとどめられる。
目を尖らせて睨んでも、佐川は首を振るだけでここにいろと視線で命令してくる。
香子は抗議するように目を閉じた。
たちまち大音声の洪水に巻き込まれ、想像以上の圧迫感に体ごと持って行かれそうになる。
思わず、ぐっとテーブルの端をつかむと、その手の上に大きな手が被さってきた。

分厚い手のひらが手の甲に重い。
けれど、それは決して嫌な重みではなかった。
大丈夫だ、ここにいると告げている。

野木。
いや、違う。
野木の手も大きかったけれど、でももっとしなやかだった。
まるで別の生き物のように肌の上を優しく、時に意地悪なほど辛辣に遊んでいた手。
二度とあの手で、指で触れてはくれないのだ。

香子は目を開いた。
目の前で佐川がまた、にっと笑う。
今度はすまなさそうに。

それから重ねていた手で香子の手をつかむと、また、あっという間にその店から連れ出してくれた。

「な、なんなんですか、いったい」
店の外に出て、大きく息を吐く。
まるで音の洪水の中で溺れていたように、肺が新鮮な空気を求めていた。
あの店の中の嵐のような音に比べたら、街の喧騒など雑音の範疇ではなかった。
まだ耳だけでなく頭もガンガンする。
意識せずに大きな声で抗議すると、周りの人間が振り返った。
思わず口を手で抑えると、佐川が「すみません。びっくりしましたよね」と、素直に謝った。

「すみません、月に一度のバカ騒ぎの日だってこと思い出して…」
「は?」
「いえ、例えばW杯なんかの時は4画面ともその試合の実況中継を放映して、ファンが集まって騒ぐんですけれどね、月に一度だけ、ああやって何の脈絡もなく様々なゲームの実況を一度にかけて、狂乱の一夜になるんです。
コンフュージョンナイトって言っているらしいんですけれどね。
多分、オーナーでもあるマスターも何かを、闇を抱えているのかもしれないけれど、狂気ですよね、他人から見たら。
でも、満席だったでしょう?
不思議ですよね、バカ騒ぎの日だってわかっているのに、どこからか人が集まってあのクレイジーな大音響の中で一杯やって帰ってゆく」

済まなそうに言う佐川に、香子は何も返さなかった。
まだ耳の奥がガンガンしている。
今までの佐川の印象と、先ほどのスポーツバーはあまりにかけ離れていた。
不機嫌に眉を寄せ、佐川を見上げると、「5年前、通ったんです、この店に」と、彼が唐突に言った。

怪訝な表情で見上げてくる香子に、寂しげな微笑を頬に浮かべ、彼は先に歩き出した。
「・・・5年前、妻が亡くなって半年後にこちらに転勤になりました。
というより、結婚して2年間だけという約束で地元に転勤させてもらったんです。
地元にいるときはまだよかった。
妻や私の両親、友人たち、妻の死を悲しみ、一緒に悼む人たちがいた。
けれど、こちらに戻ってきてからは一人です。
職場でも妻を亡くした男だということで周囲は気を使ってくれたのですが、みんな妻を知りませんから、一緒に悲しむほどではない。
・・・行き場がなくってね。
そんな時、学生時代に通っていたこのスポーツバーにふらっと立ち寄ったら、たまたまバカ騒ぎの日だった。
四方八方からの大音響に、最初は嫌悪さえ感じました。
何の秩序もないただの雑音の洪水ですから。
最初はすぐに出ようと思った。でも、その場を動けなかった。
変ですよね。あの煩わしいとしか思えない音の中で、私は安らげた。
あの音に押しつぶされ、蹂躙され、でも、妻を想って泣くことができた。
あそこでは、友人と一緒に行っても会話さえも成立しない。
グループで行っても結局、一人なんです。それが本当にありがたかった。
毎月通いました。コンフュージョンナイトだけ。
2年たって、ほかの夜も通えるようになった。
今の草ラグビーの仲間ともあそこで出会ったんです」

長い話が照れくさかったのか、佐川は立ち止って傍らを歩く香子に笑いかけた。
それから淡く言った。
「実は、昨日、妻の祥月命日でした」
香子は言葉が出なかった。
喉の奥を熱い塊が焼く。
何とかその塊を飲み下すと、「すみません」と小さな声で詫びた。
今度は佐川が怪訝な顔をする番だった。

けれど、香子自身、何を謝ったのか定かではない。
ただ、謝る言葉しか出てこなかったのだ。

「そうだ、今度ラグビーを見に来ませんか?」
「は?」
「来週の土曜日、試合があるんです。東たちも来るって言っていたから、もしよろしければ紗月、じゃなかった、東のカミさんに場所と時間を聞いてください。
今、直接誘って断られたら、さすがの私もショックだから」
冗談めかして言われ、香子はうなずくしかなかった。

二人は地下鉄の階段の前に立っていた。
「どうぞ気を付けて。私はちょっと飲んで帰りますから」
佐川は軽く手を振って香子を見送った。
決して思わせぶりではないことに好感を持ちながら、香子は階段を下りて行った。

彼はまたあのスポーツバーに戻るのかもしれない。
あのがなり立てるような声や大歓声、狂気の渦の中で静かに亡き妻をしのぶのかもしれない。

確かにそれも一つの悼み方なのだ。





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