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夢吐(うそつ)き

夢吐き&バカラ 13

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少しだけ湿った唇が離れると同時に、恭祐の大きな手が香子の手を握った。
振り払う間もなく、ぐいと引っ張られる。
香子は7センチヒールで歩道を走る羽目になった。

どれほど駆けたのか、恭祐のエスコートは強引だったけれど、香子は一度も行き交う人にぶつかることはなかった。
自分たちの隙間をかけてゆく大柄な男とピンヒールの女の奇妙な二人連れに対する、怪訝というか迷惑だというあからさまな視線にはあちこちでぶつかったが。

毎日の営業回りの恩恵か、体力にはいささか自信のある香子だったが、さすがに息も苦しくなってくる。
いい加減、強引な手を振り払おうと思った時、恭祐の足が止まった。
勢いあまって彼にぶつかりそうになり、慌てて急ブレーキをかけると、足元で耳障りな音がした。
案の定、右足ががくんと外側に傾く。
悲鳴よりも早く恭祐が香子の体を抱きとめていた。

恭祐が香子の顔の高さに掲げたハイヒールは、見事にかかとが折れていた。
もっとも底革が張られているので、ぶら下がっていると言った方が正しいか。

右足を上げたまま恭祐にすがっていた香子が、「ああ」と息を吐いた。
「お気に入りだったのよ、これ」
「すみません」
ちっとも悪びれない声の謝罪に神経を逆なでされ、弾む息の勢いのまま恭祐を見上げた途端、「あっ」と息をのむ。

恭祐はその反応を愉しむように、自分の顔越しに頭上へと向けられた香子の視線をそのまま追った。

「ここ」
「うん」

ひょいとお姫様抱っこをされて、エントランスホールへと入る。
いつ用意していたのか、恭祐は香子を抱えたまま器用にカードでロックを解錠すると、そのままエレベーターに向かった。

香子は抗う気力もなく、というよりただ唖然として恭祐の顔を見上げていた。
瑞人譲りの微笑を張り付けた唇の下、顎のあたりにうっすらと夜のひげが影を作っていた。
瑞人に比べればいささか線が細い印象の恭祐だったが、香子を軽々と抱えたまま5階でエレベーターを降り、ドアの向こうからの生活の気配がまるで感じられない廊下を悠々と歩いてゆく。
彼が香子を下ろしたのは、503号室の前。
香子が片足を上げたままでいられるように、もちろんサポートは抜かりなく。

穏やかな微笑を浮かべたまま、恭祐はドアを開くと、「どうぞ」と言った。

ひやりとした空気が香子を包み込む。
その空気にからめとられるように、香子はオートランプに照らされた玄関の三和土に足を踏み入れた。
ストッキングだけの足だということを忘れて。

「野木・・・」
呆然とつぶやくと、「うん、瑞人の部屋だよ。もっとも今は俺の部屋だけれど」と、恭祐が背後から告げた。

短い廊下の先にステンドグラス風のリビングドア。
そっと開くと、自動的にともったシーリングライトの下に広いリビングルームと右手にカンターキッチン。
奥にあるドアの向こうがベッドルームだった。
洗面所とトイレ、バスルームはキッチンとベッドルームの二方向から入れるようになっていた。

今、その部屋にはそっけなく段ボールが積み上げられ、まだレイアウトも決まらないのか、シートに包まれたソファやダイニングセットが所在投げに置かれている。

「ごめん、まだ片付いてない」
「見ればわかるわよ。・・・なぜ、あなたがここに?」
「退院してから実家にいたけれど、昨日、出てきたんだ。
瑞人の四十九日の後、お兄さん夫婦がここを引き払ったんだけれど、上条さんが契約しなおして住むつもりだったらしい。
でも、付き合っていた人が赤ちゃんを授かったということで急遽結婚が決まって、ここじゃ狭いからってことでほかに住むことになった。
それで、借り上げ社宅扱いで俺に住むようにって言ってくれた」

恭祐の淡々とした声を背中に聞きながら、香子はリビングの中を歩いていた。
確か瑞人は、独立を期してここに転居してきたと言っていた。
だから、7年余りをここで過ごしている。
色も数も抑えたスタイリッシュな家具と温かみのあるファブリックでまとめられていた部屋。

5年間で、何度訪れたのか。
いつも夜の帳に包まれた部屋に転げ込むようにして帰ってくると、慌ただしく、あるいは飲み足りなかった分のアルコールに身を浸すようにしてベッドルームに入った。
瑞人はベッド以外で抱き合うことを好まなかったので、いつも清潔なシーツにくるまれた。
そのまま朝を迎えても、会社も自宅も遠い香子は慌ただしく部屋を後にしたし、ゆっくりとこの部屋で過ごすことはなかったのだと、今さらながらに自分を責める。

「はい」
いつの間にか背後に立っていた恭祐が、肩越しにグラスを差し出してくる。
花開いたような意匠を刻むタンブラーには、琥珀色の液体がワンフィンガー。
その香りに思わず顔をしかめた。

「そうだよ。瑞人が一番好きだった酒。気が知れないけれどね」

呆れたような、でもひどく優しい響きの言葉を聞きながら、振り返ることなく受け取って一口含む。
衝撃的な香りは相変わらず好きにはなれないが、それを裏切る甘く熟した果実のような味が舌の上を転がる。

「セレクト?」
「あ、嫌いなのにわかるんだ」

瑞人を喪った後、散々ラフロイグで飲んだくれたから、とは言えない。
癖のある香りにむせながら、どれほど酒瓶を空にしたことか。
その香りが正露丸だの、消毒剤だのとさんざんけなされながらも、ファンの多いスコッチウィスキーだ。

彼と抱き合う夜は、その香りのする口づけに耽溺し、狂わされたのだ。
矛盾する想いは、彼に絡めた指先がいつも彼の肌をえぐった。

「知ってる?『ラフロイグ』って、広い入り江の美しい窪地って意味なんですって。
とてもきれいな名前よね」
「知ってるよ。俺だって、散々飲んでるもの、ここんとこ。
友達には、腹でも下してるのかって言われたこともある。
いつも正露丸の匂いがするって」

肩で笑いながら、もう一口。
ほんの少しだけ後ずさると、背後からそっと包み込んでくる腕がある。
唇にまた渇いた唇が重なってくる、肩越しに。
だから、その渇きを湿らせる程度に口移し。

「好きなだけここにいて。眠たくなったらベッドはもうセットしてあるから。
安心していいよ。俺はまだ使ってない。
カードキーは持って帰ってくれてもいいし、ポストに放り込んでくれてもいい。
スペアはあるから俺のことは心配しないで」

アルコールのしずくで艶やかになったであろう唇の左端をかすかに引き上げた気配が、肩越しに伝わってくる。

「あなたは?」
「実家に帰るよ。両親はいまだに一人暮らしすることを心配しているから、実家に帰ると安心するし。
だから、心おきなくどうぞ。ただし、今晩一晩だけ。
明日からは、俺の部屋だから」

背中を包む温もりが一瞬薄くなる。
思わずおなかのあたりで重ねられていた大きな手をつかむと、「一緒にいて」とつぶやいてしまう。
けれど、背後の大きな影は小さく首を振った。

「あなたの瑞人はあなた一人で見送って。俺は俺なりに瑞人を想うから」

急に寒くなった背中をかばうように両手でグラスを握りしめる。

ひそやかな足音がリビングドアの前で止まった時、香子は「ねぇ」と呼び止めた。
「このグラス、バカラ?」
「・・・あなたの思うように」

夜がにじむような声で告げると、ドアはひっそりと閉じた。
玄関のドアもすぐに閉じる。

香子はリビングの真ん中に立つと、がらんとしたままの部屋をもう一度眺めた。
瑞人との契約が解除された後、リフォームが入ったことはすぐにわかった。
壁紙が変わっているし、多分水回りも点検修理などが入っているだろう。

瑞人の気配はまるで残ってはいないが、目を閉じると彼の声が耳元で囁く。

「秋沢。相変わらずだね」と。

「野木。私、もう一人で泣くのは嫌なんだけれどなぁ。
あの子、帰っちゃった。一緒に泣いてくれるのかなって期待したのに」

ふふふと耳元で彼が笑う。

「あなた、私を一人ぼっちにしたくせに、笑ってるの?
もう立ち直れないよ、私。どう責任取ってくれるの?」

先ほどとは違う温もりが、香子を包んだ。
ラフロイグが強く、匂う。

「・・・私の思うように、か」

つぶやくと、香子は喉をそらして液体を飲み干した。





ひと月後。
香子は、一枚の封書をポストに投函した。
宛名は「N&上条コンサルタンツ 篠宮様」。
電話番号もメールも知らなかったので、連絡方法はそれしかない。
いまだに「篠宮君、また舞台に立たないかな」なんてほざいている紗月にメッセンジャーをしてもらうなんてもってのほかだし、また会社の前でストーカーまがいに待つのも願い下げだ。



翌日、恭祐は差出人のない封書を受け取った。
牧野や上条の興味津々な視線を背にして、たった一枚の便せんを開く。

――― 一度、一面の稲穂の上を渡ってゆく風を見に行かない? ―――

「残念ながら、今年はもう稲刈り、終わってるけれどね」

つぶやくと、目の前の電話を取った牧野さんが、「篠宮君、藍染め観光協会から電話!」と叫んだ。




                                                     了


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


中途半端に終わってしまいました。
最初に思っていたラストとは違ってしまい、自分でも、あれ????と思っておりまする(--;)
なんか、あっさりしすぎて、これで二人は救われるのか???
否、愛する人を喪ったら、救われることなんか永遠にないよなぁと思いながら、「了」の一文字書いちゃいました。

この先、この二人がどう生きていくのかは、バカラのグラスをどう思うか次第…なんて、わけのわからんことを言い訳しつつ、
このお話は一応、これで終了といたします。

では、次のお話でまた。






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