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夢吐(うそつ)き

夢吐(うそつ)き&バカラ 6

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手荒く突き飛ばされ、ごみ集積場を濡らす水たまりに派手に転がった。
「さんざん気を持たせやがって!俺はお前のノルマも背負ってやろうと思っていたのに!
後から泣きついてきても知らんからな!」
こっちとしてはひどく不本意な捨て台詞とともに、紙片がばらばらと頭の上から降ってくる。
それっきり背を向けた男は、乱暴な足取りで表通りへと去っていった。

ライダーズジャケットはさっきの店に置いてきてしまったので、薄いシャツにしみこんでくる雨が冷たい。
水たまりについた手のひらや水に浸かってしまっているパンツは痛いほどだ。

でも、動けない。
この細い小路に引っ張り込まれたときに、ねじ上げられた肩だけが、高い熱量をもって危機を叫んでいる。
「い・・・ったぁ」
反対の手で右肩に触れたが、痛みが増すばかりで、思わずうなり声に似たうめきが漏れる。

したたかに酔わされて、いい加減、痛感もマヒしているはずなのに、それでもこれほど痛いのだから、素面だったら泣き叫んでいるなと、アルコールで弛緩した頭の隅で考える。
かみしめる唇から鉄の味がして、大声で叫んでやろうかと思ったが、酔っ払いの大声が渦巻いているこの町だ。
いつものことと聞き流され、黒ずんだプレートに「裏口」とそっけなく書かれた目の前のドアが開くはずもない。
ましてや高いビルとビルの狭間、行き止まりの細い小路の存在など、誰が気づくだろう。

いっそのことこの浅い水たまりで溺れてしまおうかと体を傾けたとき、視界の隅で、先ほどばらまかれた紙片を拾い上げる大きな手が見えた。

顔を上げると、「劇団アンタッチャブル クリスマス公演のチケット?今どきこんな粗雑なプリント、小学生だって作れないよ?」と、呆れるような声が降ってきた。
細身のコートを着た長身の男が立っていた。
サラリーマンにしてはやや長めの髪の毛に雨のしずくが光っている。
黒い傘の細いストライプが反射して、眼鏡の奥の目は見えなかったけれど、唇の左端がほんの少しだけ上がってこの状況を面白がっている。

「風邪、ひくよ、そのままだと」
そういいながら目の前にしゃがみこみ、大きな傘を差しかけてくれた。
頬をこぼれていくしずくが雨ではなく、痛みを源泉とする涙だったのだと知った時、コートの裾が汚れるのもいとわずに高さを同じにしてくれた目の端が、思いっきり下がる。

そんなにびしょ濡れじゃタクシーも嫌がるねと彼は言い、止める間もなく救急車を呼んだ。
運び込まれた救急病院では脱臼だと診断され、断末魔の叫びかよと、あとから自分にツッこんだほどの声をあげた手荒い洗礼(治療)を受けた挙句、一晩の入院だと告げられた。
念のためと車イスで処置室から出たら、壁際の長イス立ち上がった彼の穏やかな笑顔を見て、先ほどの叫び声を聞かれてしまったことに赤面したが、わけもなくほっとしたのを覚えている。

それが瑞人との出逢いだった。
3年と半年ほど前、クリスマスまであと3週間に迫った夜。

財布も携帯もライダーズジャケットと一緒に、飲んでいた店に置きっぱなしだった。
薄いシャツだけで冷たい水たまりに転がされたあげく、脱臼の激痛が酷いストレスになったからだと後から医師に告げられたけれど、結局、肺炎まで併発して1週間の入院措置になった。

その間、瑞人は毎日、病室に顔を出してくれた。
二日目には、財布も携帯もポケットに入ったままのライダーズジャケットまで持ってきてくれた。

瑞人は、すごい形相の男に腕をひねり上げられ、強引にバーから引っ張り出される男を目撃し、少しの懸念をもって後を追ったということだった。
案の定、怒りまくった男は狭い小路に入り込むなり、自分よりも華奢な男を水たまりに放り出し、その場を去った。
水たまりに転がされた男が立ち上がってその場を去ればそれでよしと思ったらしいが、残念ながら彼はぼんやりと宙を見ていたかと思うと、右肩を抱いてうめき始めた。
結局、見過ごすことができずに掬いあげた(文字通り水たまりから掬い上げたのだ。救いあげた、ではない)というわけだ。

退院した翌日、もらっていた名刺にあった事務所に電話した。
指定されたのはその近くのカフェで、瑞人は30分ほど遅れてやってきた。
そして、ガラス越しに待っている男を認め、眼鏡の奥の目を思いっきり下げてくれたのだ。
その目にひどく狼狽して、思わずカップをソーサーに落してしまったことは、とうとう最後まで瑞人には言えなかった。
その日は、結局、立て替えてもらっていた入院費と、以前母親が贈答に使っていた店のクッキーの詰め合わせを渡しただけで帰った。
瑞人のスケジュールが詰まっていたからだった。

瑞人から電話をもらったのは、その3日後。
「この間は予定が詰まっていたから、すぐに追い返してごめん。今日は忙しい?夕飯くらい奢るよ?」
大学の先輩が後輩を誘うようなラフな口調に、最初は断るつもりだった気持ちは呆れるほど簡単に覆った。

何よりその声の響きが耳朶に心地よかった。
深みがあるのはもちろんだが、何よりも肌を合わせた時のようなひどく心揺さぶる温もりがあった。
女の子がこんな声で口説かれたら腰が砕けて、絶対に断れないだろうなと不謹慎な感想を持ったほどだ。

その夜、瑞人と食事をしたのは狭くて長い路地の行き止まりにある店だった。
こんなせせこましくて猥雑な都会の真ん中に、こんなに延々と続く路地があるなんて、これは異世界へのラビリンスかなんてRPGみたいなことを考え始めたころにたどり着いた小さな洋食屋。

街が年末年始の浮かれ気分に沸いているというのに、テーブルが四つしかないその店は淡い光に包まれていて、静かだった。
瑞人がアラカルトをいくつかオーダーして、ワインを軽く飲んだ。
さほど饒舌な方ではないのに、瑞人に問われるままに劇団のことや大学のことをしゃべり続けたように思う。
時折、瑞人がたてるおおらかな笑い声が、ひどく滑らかに耳に滑り込んだ。
フォークとナイフを操る大きくて、でも器用な手に見とれそうになったこともある。

火照った頬に夜の空気が気持ちよくて、二人はイルミネーションとクリスマスソングと人の笑顔で泡立つような街を歩いていた。
お礼を言って別れればよかったのに、自分の耳よりほんの少しだけ上から聞こえてくる声が心地よくて、でもそれをワインの余韻に酔っていることにすり替えて瑞人の横にいた。

その時、自分が入院してしまったことで劇団が起死回生を賭けていたクリスマス公演が中止になったことも打ち明けたように思う。
もっとも、俺が入院していなくても結果は同じだったと思う。
何しろ、ケガさせてくれた男は劇団の大道具係だった。
小劇団では役者が大道具係や小道具係を兼任するのはよくあることだが、あの男はあまりに大根すぎて大道具係専任になったという逸話を背負っていた。
あの日以来、姿を見せなくなり、劇団は主役のケガと大道具係の出奔という二重苦を背負って大混乱に陥っていたらしい。
もっとも、それで背負っていたチケット代のノルマが消えたわけではなく、逆に予約していた劇場への支払いなども降りかかってきて、芝居から足を洗うきっかけもなくなってしまった。

「ノルマって、どのくらい?」
雪が零れ落ちてきそうな灰色の空を見上げながら、瑞人は言った。
その横顔のあごのラインを街の明かりがくっきりと浮かび上がらせる。
俺はそこから視線を引きはがすようにして首をすくめた。
「・・・そんなに大した金額じゃない。バイトすれば何とでもなるし」
「でも、あの男は、そのノルマを肩代わりするつもりだったんだよね。
結構重いんじゃないのか?」
「大丈夫。あの男は・・・、勝手に妄想していただけだから」
「チケット代で君とセックスする、みたいな?」

余りにも軽く言われて、さすがに瑞人の顔を見返してしまった。
俺の目の前で、形のいい唇の左端が、面相筆で描くようにきれいなカーブを描いていく。

「そんなに重くないノルマなら、君って結構安いんだ」
侮辱されたのか、単にからかわれたのか判断がつきかねて唇を引き結んだ。

「なるよ、そのスポンサー。君がよければ」



「ちょっと待って。その・・・スポンサーって、そういう・・・」
さすがに言いよどむ香子に、恭祐はあっさりと答えた。
「うん。バイトを紹介してくれた。瑞人の事務所」
自分の言葉が、まったく香子らしくない表情を引き出したのを認めて、恭祐はまた唇の端を上げる。

なんと憎たらしくきれいな男かと、香子はその微笑みを睨んだ。
瑞人同様、唇の端を少しだけ上げるだけで、喜怒哀楽はもちろん、皮肉も侮蔑も嘲笑もすべてを表してしまう。

けれど、と香子は息を吐いた。
隣でリラックスしている男は、それ以上に疲労の影をまとっている。

「もういいわ。あなた、明日も忙しいんでしょ。帰ろう。蚊にも刺されたし」

先に岸に向かって歩き出すと、彼は素直についてきた。
駅までお互いに口は開かなかった
ちまちまとした商店街の明かりはほとんどが落ち、24時間営業のファーストフードやカフェの明かりだけがオアシスのように輝いている。

恭祐が今、身を寄せている実家の最寄り駅は、香子が乗る電車とは反対方向だった。

「ごめん、次の電車に乗って。ホームで君を見送ったり、見送られたりするのは気持ち悪い」
恭祐は素直にうなずくと、駅前の24時間営業の店に入っていった。
瑞人とさほど変わりない大柄な背中に、それよりも大らかな影を映して香子は見送った。




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