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夢吐(うそつ)き

夢吐(うそつ)き 4 (追加修正しました)

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胸に抱いたままのグラスの肌が、ほんのりとした熱を帯びている。
ベッドの中で眠れないまま、けれど、寝返りを打つのも我慢していたけれど、リビングからは何の音も聞こえてこない。
気配だけは濃厚にあるというのに。

音をたてないようにして起き上がり、ガラス戸を開くと、彼はソファではなくラグの上にじかに横になっていた。
クッションも使わず、さぞかし寝心地は悪いだろうと同情するほどだが、香子の足音にも気づかないほど深い眠りにからめとられている。
20代半ばくらいかと思ったが、寝顔は少年を通り越して赤ん坊のようだ。

この部屋で眠る男は、彼で二人目。

瑞人。

この男は瑞人のなんなのだろう?
最初に「弟」と言われた時、マジに信じてしまうほどに瑞人に似ていた。
瑞人は女性顔だと言われることをひどく嫌っていたが、この子も優し気な顔をしている。

そこで気づく。

名前さえまだ聞いていない。
まだ手にしていたバカラのグラスを見下ろし、それほどに動転していたのだと改めて思う。
この半年余り、泣いたのは数えるほど。
なのに、この子の口から「瑞人」と聞いた時、号泣してしまった自分に驚いたほどだ。

瑞人の訃報さえ、昔のゼミ仲間からのラインで知った。
彼の関係者は、仕事関係でつながりのある大学時代の友人に真っ先に連絡し、友人関係への連絡はその男に一任したらしい。
ほとんど同時に、彼へ仕事を依頼していた紗月から泣き叫ぶような電話が来た。
それから数日のことはほとんど覚えていない。

後から紗月に尋ねたところ、「怒りも悲しみも滑り落としたような顔だった」と言われた。
それでも、お通夜も告別式も取り乱すことなく列席し、焼香していたという。
ただ、声も上げずに涙だけをぽろぽろこぼしながら。

自分の周囲に色が戻ってきたのは、彼がいなくなってひと月ほどたった後だった。
徐々に色が濃くなっていき、音も聞こえるようになってきた。
仕事だけはなんとかこなしていたようで、パソコンの画面に自分の営業成績がさほど壊滅的ではないことを示すデータを見つけたとき、自嘲的なめまいにうずくまったほどだった。

あのバーにまた通い始めたのは、3カ月後。
さらに喪失感を募らせるだけだと分かっていながら、いつも彼と並んで座ったカウンターで、大嫌いだったラフロイグを頼んでいた。

もう一度、薄明りの中で眠る男を見下ろす。
どれほど深い闇の中にいるのか、寝息さえ遠慮するように低く重い。

若さがかろうじて支えているように見えるほど憔悴していたが、彼の中の瑞人も、今、一緒に眠っているのだろうか。
そうであってほしい。

あの深い寝息を耳元に聞きながら眠った幸せを、もう取り戻すことができないのなら。




淡い朝の気配が、マンションの窓を這い上ってくる。
光がとろけているような薄闇に目を開けば、ガラスの向こうの気配が消えていることに気づいた。
あれほど深く眠っていたというのに、数時間で目覚め、出て行ったのだろう。

香子は寝返りを打つと、サイドテーブルの上で光を集めるグラスをみつめた。
なぜ彼は、わざわざ持ってきてくれたのか。
見覚えのないグラスに、彼は何を見たのだろう?


その朝、香子は出社するなり紗月に、「今夜、飲むよ。日報は手早くね」と、ささやいて営業に出た。
二人が席に着いたのは、会社近くのイタリアンレストラン。
幸いなことにというか、不幸なことにというべきか、その店は幾度営業をかけても香子たちの会社の飲料を使ってはくれない。
その皮肉も込めて、香子と紗月は時々、その店でワインを飲み、食事を楽しんだ。
料理の味はまぁまぁだし、香子たちの営業にさえ答えてくれたら問題はないのにと思いつつ、その夜も二人は奥のテーブルに陣取った。

最近、香子はほとんど酒を飲まなかったので、紗月はどこか不安げに香子の顔色を窺っているようだった。
そんな紗月の視線には気づかぬふりをして、香子は赤ワインのボトルとアラカルトを何品か、さっさと頼んでしまう。
それでも紗月は黙っていた。
野木が逝ってしまってから、香子はほとんど酒を飲んでいない。
何度か誘ってみたが、いつも彼女は首を振った。

酔った自分が何を口走るか、香子には恐怖にも似た不安があった。
泣いてわめいて収拾がつかないほどに乱れて嘆いて、その挙句、自己嫌悪に立ち上がれないほど落ち込むのではないかと思うと、怖くて飲めない。

そんな香子の気持ちを知っていたからこそ紗月は無理強いはしなかったし、紗月自身もアルコールをセーブしていたところもある。
そんな香子から、朝、いきなり「飲むよ」と言われたのだ。
一日、上の空になりそうだったのは致し方ないはずだ。

オーダーした料理がいくつかテーブルの上に並ぶと、香子は「久しぶりだから、乾杯しよ」と、先にグラスを持ち上げた。
最初から香子に主導権を握られているが、今夜はそれも気にならない。
お互いに軽くグラスを合わせ、一口、辛口のワインを味わうと、香子はおもむろに口を開いた。

「ねぇ、N&上条コンサルティングのところに、バイトの男の子、まだいる?」
唐突な質問に眉をひそめたが、彼女はすぐに答えをくれた。
「いるよ。モデルみたいな子でしょ。学生やりながら小劇団で役者やっていたそうよ」
言いながら、紗月は大ぶりなトートバッグの中からA4ファイルを取り出し、香子の前に差し出した。
「なに?」
「ちょうど今日、もらってきたの。その子の劇団のチラシ」

視線を落とすと『劇団アンタッチャブル定期公演 篠宮きょうすけ復帰公演。でもこれでサヨナラ、引退公演』という派手なコピーが、A4の紙面を斜めに切り裂いている。
その上半分に、『肩ごしの別れ』という芝居のタイトルと簡単なストーリー、下半分には、
キャストのちいさな写真がサムネイルのように並んでいた。
その一番最初に見覚えのある写真。
「篠宮きょうすけ」という名前がふってある。

「これ、本名?」
「ああ、きょうすけは、こんな字」と、紗月はボールペンを出すと、そのチラシの隅に「恭祐」と書いた。
「なかなか人気のある役者だったらしいよ。この子の人気でこの劇団は持っていたとかで、彼が辞めたら時を置かずに解散じゃないかって、このチラシをくれた上条君が言っていた」
「なんで辞めるの?」。
「大学を卒業したからよ。いつまでもファンタジーをやっていられないでしょ。
でも、あの事故で内定取っていた会社への入社がダメになったものだから、上条さん、事務所に正社員として雇ったらしいの」
「新卒だったの?もう少しいっているかと思った」
「私もあまり彼とは絡みもないからよく知らないんだけれど、なんでも大学はいりなおしたらしい。
だから、新卒と言っても二つ三つ、年くっているみたい。
って、篠宮君がどうしたの?」

香子が視線をチラシに落したままグラスを空っぽにすると、紗月はそっとワインを注いだ。
香子の視線は「篠宮きょうすけ」に注がれたままだ。

やがて、チラシをテーブルの上に置くと、香子はまたワインを飲み干した。
「昨日、この子に会ったのよ。彼と二人でよく行ったバーで。
厳密にいえば会うのは二度目だけれど。一度目はナンパされた」
「どういうこと?」
「私が聞きたい。探していたみたいだけれど、私のこと」

紗月が怪訝な顔をする。
当然だ。
香子と会いたければ、紗月を通せば簡単なことだ。
わざわざ偶然を装って出会うなんてまどろっこしいことをする必要などない。
それとも、瑞人は香子が事務所によく出入りしている山本紗月の同僚であること、そもそも香子が紗月を紹介したことなどを恭祐に話していなかったのだろうか。
いや、いくらバイトだといってもクライアントとの絡みなどは、ほかのスタッフの話からでも想像できるはずだし、・・・ああ、そうか、と納得する。
瑞人は事務所のスタッフにも香子と男女の関係にあることを黙っていたのだろう。

そう、黙っていたのだ。
私の存在を。
けれど、恭祐は知っていた。

「香子、何があったの」
ぼんやりとサラダをつつく香子に焦れて、紗月が催促する。
昨夜のことを話すと、紗月もしばし黙り込んだ。
いつの間にか、テーブルの上にはオーダーしたアラカルトがすべて並んでいた。
一口ずつ、それらを堪能した後で、紗月は気まずそうに口を開いた。
「ひょっとして、だよ、ひょっとして、野木さん、ゲイ・・・だったとか?」
香子の視線に、紗月は慌ててそっぽを向くとフォークで突き刺していたテリーヌを口に入れた。
大げさにもぐもぐと口を動かし、自分の失言を無きモノにしようとしている。

「まぁ、香子の話を聞いていたら、野木さんがゲイだったなんてありえないよね。
それに、私だって半年間とはいえ、彼と仕事で付き合いあったし。
彼・・・、雑談の時に香子の近況とか、会社での武勇伝を耳打ちすると、すごくうれしそうな顔、したんだよね」
しみじみとした紗月の言葉に、香子は「それ、初めて聞いたけれど」と口を尖らせた。
「言えるか!なんで恋敵にそんなこと言わなくちゃいけないのよ。
それに、あの翌日、野木さんがあんなことになっちゃって、そんな余裕なかったし…」

そうだ、と改めて喉の奥がきゅうッと絞られる。
あの翌日、居眠り運転を疑われるトラックが時速100キロで交差点に突っ込んだ。
対向車や右折車に激突したはずみで歩道に飛び込み、歩行中や信号待ちをしていた十数人がなぎ倒された。
3人が亡くなり、あとの人間も重軽傷を負った。
亡くなった一人が野木瑞人であり、重傷を負った一人が篠宮恭祐だった。

「早いね、もう半年以上たつんだ。いまだに信じられない」

私はあなた以上にね、と香子は目の前の盟友の顔を見つめ返した。
瑞人の訃報を最初に知ったのは大学時代からの友人のラインだったが、すぐ後、紗月から電話がかかってきた。
リアルな言葉で知らされたことで瑞人の死を確信した時、この大切な友人に爆発するような殺意を覚えたことはこれから先も言えない。

「野木さん、篠宮君をかばったんですってね。
トラックに近いのは篠宮君だったのに、野木さんがとっさに前に出たから篠宮君、骨折で済んだって」

瑞人を失った後、惨事のあった交差点を幾度も通り過ぎた。
何しろ複数の幹線道路が複雑に交差する場所なのだ。
打ち合わせやクライアント巡りは基本的に地下鉄を使うのだが、タクシーで走ることも多い。
いつもは目を背けているとはいえ、いまだにトラックが激突したビルの壁はえぐられたままブルーシートがかかり、取り換えられたガードレールの根元には花束が絶えないと聞く。
運転手が亡くなったことで刑事裁判の行方は混沌とし、民事裁判に至るまでには数年かかるだろうと言われているらしい。

「かわいがっていたとは聞いている、上条さんから。だから、とっさにかばったんだろうって。
時々は出張にもアシスタントとして連れて行ったみたいだし。
上条さんも独立するつもりだったし、そのまま事務所に就職させればいいと他のスタッフは言っていたみたいだけれど、野木さんがせっかく大学も入りなおしたんだから、ちゃんと就活しろって言って、内定を取って来たらしいよ。
野木さん、すごく喜んでいたって」

そっか…、そんなにかわいがっていたのか。
でも、一度も恭祐の話を聞いていない。
事務所のスタッフの話は時々聞いていたが、恭祐の話題は出なかった…ように思う。

いったい、自分たちはどんな話をしていたのだろう。
他愛ない話題を肴に少しだけお酒を飲んで、あとは気を失うほどに抱き合って。
その繰り返しの5年間。

・・・野木、あなたは、私に何を求めていた?
私があなたを求めていたように、あなたも私を求めてくれていた?

求めてくれていた。
それは断言できる。

あの時間を誰も否定できない。
私が否定しない限り。

「香子」
紗月の声に我に返る。
「久しぶりだね、一緒に飲むのは」
またグラスにワインが注がれる。
「飲みなよ。今夜は私が送って行ってあげるからさ。
いいじゃない、篠宮君が野木さんのなんであろうと。
あなたと野木さんは確かに結ばれていた。
愛かもしれないし、恋かもしれないけれど、確かに二人が寄り添っていたことは私が保証する」
「頼りない保証人だこと」
憎まれ口をたたきながら、香子はまたワインを飲み干した。





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