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夢吐(うそつ)き

バカラ 3

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歩道を行き交う人の流れに逆らうようにして、小さな階段を降りる。
淡いライトに照らされた木製のドアを押すと、中から軽いクラリネットのメロディが漏れてきた。
その音に足音を絡ませるようにして中に入ると、目の前にL字型のカウンター、右手に二人掛けのテーブルが二つだけ。

カウンターの向こうから「いらっしゃいませ」という静かな声が迎えてくれたので、臆することなくカウンターへ向かう。
まだ時間も早いし、カウンターにはスーツ姿の女性の背中が一つ。
スツール一つ分、左側にあけて座る。

無難にビールを頼んで、あとはぼんやりと店の雰囲気を肌にまとわせる。
隣のスーツの女性が、グラスのフチに親指と中指を乗せ物憂げに少し揺らした。
まだ溶け切っていなかった氷がグラスにあたって、軽い音を立てる。
動いた水面が放ったかすかな香りで、それがラフロイグだと分かる。

彼女は多分、あの酒が嫌いだ。
だって、少しも減っていない。
口紅は赤くて個性的な色なのに、グラスにはその色が少しも移っていないのだから。

本当は、自分も嫌いだった。
正露丸みたいな香りがすると言って笑われたこともある。
「俺だって最初はこの香りが苦手だった。でも、今は好きな酒だよ」と、彼は言っていた。
ベッドの横にはいつもそれが置いてあったし、彼が口移しで飲ませてくれるのもラフロイグだった。

彼女は所在投げにグラスを揺らすだけで、ぼんやりと様々な酒瓶が並ぶ棚を見ている。
哀しげでもなくうれしげでもなく、ただ淡々と。
綺麗というよりは凛々しい横顔だなと思う。

「お姉さん、一人?」
ありふれたセリフに密かに赤面しつつ、空いたスツールに移る。
カウンターの向こうにいたバーマンが、一瞬、咎めるような視線を向けてきたけれど、気付かないふりをして彼女の顔をのぞき込んだ。

この角度が一番舞台映えするぞ、と、先輩から太鼓判を押されている顔の左側を見せるようにして。

でも、彼女は応じない。
彼女だけが透明なバリアで包まれているみたいに、周囲の雑音など聞こえないらしい。
グラスのフチに添えられた指がほそい。
小さなルビーがあしらわれたリングだけが、ダウンライトの淡い光を集めて輝いている。

「せっかくのお酒なのに、飲まないの?それに、そんな落ち込んだような顔をして。
まるで恋人に振られた、ううん、恋人が死んじゃったような顔をしている」

その途端、彼女がこちらを向いた。
白いというより青く透き通ったような肌がとてもきれいな女性だった。

あ、本当に、瑞人って趣味がいいと改めて思う。

ささやくように言った言葉は、彼女のバリアに亀裂は入れられたようだけれど、それだけだった。
彼女はもう一度、俺の言葉を確かめるようにゆっくりと瞬きをし、それから、うっすらと赤い唇の端を上げた。

瑞人そっくりに。

彼女が席を立ったのは、ほんの数秒後。
空になったグラスをカウンターの上にそっと置くと、「マスター、ごめんね」と言って背中を向けた。
床を叩くヒールの音まで、彼女の生き方そのままのようだった。

その背中を見送ることもできずに座っていた俺の前に、バーマンが硬く丸められたおしぼりを3本、ピラミッドのように積んでくれた。
「服にしみこむ前に早く拭いたほうがいいですよ」という言葉に従い、顔にぶちまけられたラフロイグを手早く拭きとった。

「今のは・・・、まずかったですね」
「どうして?」できるだけ無邪気に無神経に、年上の女性を気軽にナンパするような男の言葉に聞こえるように。
「あの人は、半年前に恋人を亡くされたばかりです」

俺だって亡くしたばかりだよという言葉を苦いビールと一緒に飲みこんで、席を立つ。

やっと、みつけた。


それから三日おきにその店に通った。
最初は嫌な顔をしていたバーマンも、そのうち黙ってビールを出してくれるようになった。
ひと月後。
もう終電が近い、今夜も駄目だろうと半分諦めつつ開いたドアの向こう、まるで恋焦がれたように探していた背中をカウンターに見つけたとき、ためらわずにその横に座る。
バーマンは俺を認めると顔をしかめ、素早く隣の女性に視線を走らせた。

気配に気づいたはずなのに、彼女はまるで動じない。
その指先は、以前と同じようにグラスのフチに添えられている。
けれど、いきなりその琥珀色の酒を飲み干すと、彼女は立ち上がった。

彼女がドアを閉じた後、きっかり10秒待って、俺も席を立った。
バーマンは何も言わなかった。

ドアを開いて階段を駆け上がると、行き交う人の中に彼女の背中を探す・・・、までもなかった。
平日の午後9時だというのにひっきりなしにすれ違う人群れの向こうから、彼女はこちらを見ていた。

ペールブルーのスーツの上着のボタンをきっちりと留め、背筋を伸ばしてやや半身立ちで。
あごはしっかりと上げて、まるでこれからモンスターと闘う女戦士のような目をして。
ああ、本当にきれいな人だと思う。
瑞人が長い間、胸に抱いていた人なんだもの、当然だけれど。

瑞人がよく言っていた。
トップセールスマン、いや、セールスウーマンだよと。
もっとも、マンだのウーマンだのという時点で差別だな。
彼女はそんなの超越しちゃってる。
本当に素敵な女性なんだ。だから、大切にしてきたし、これからも大切にしたいと。

こちらは階段を上がっていくという最初から見下ろされるというハンデを負っていたけれど、そんなのなくても最初っから貫禄負けなのは自明だった。

「あなた、誰?」

人群れの間を抜けるようにして彼女の前に立つなり、先制攻撃。
声も想像していたように、滑らかなハスキーだ。

けれど、俺は黙ってショルダーバッグからミニタオルで包んだものを取り出すと、彼女の前に差し出した。
俺の手ですっぽりと包めるほどの大きさのそれを、彼女は訝し気に見下ろしていた。

「なに?」
「瑞人、の形見。これで飲めば、ラフロイグもおいしく飲めると思う」

みずと、という響きに、彼女ははじかれたように顔を上げた。
切れ長の目を大きく見開き、俺の顔を凝視する。

その目がたちまちに潤み、大粒の涙がこぼれ続けるのを、俺は同じ痛みの中で見つめ続けた。




「あなたは誰?」
その質問は二度目。
結局彼女は、自分の部屋にたどり着くまで一切口を開かなかった。
涙だけをこぼしながら、泣き続けていたからだが。
ただ、タクシーに乗った時に、俺に問われるままに行き先を告げただけ。
そして、部屋に入ってドアを閉じるなり、泣いているのにもかかわらず明瞭な声でそう言ったのだ。

「弟」
「弟?」
眉をひそめて自分の中に答えを探した後、まなじりを上げる。
「彼には弟はいないはずよ。二人兄弟の次男坊だって」
だけれど、俺は黙って首を振った。
だって自分自身、どう表現すべきなのかわからない。
たった一つ分かっているのは、「彼の会社のアルバイトだった」ということ。

「アルバイト?でも、あなた、葬儀の時には・・・」
言った途中で思いだしたようで、まだ充血した目で痛ましげに俺を見返した。

「けがは、大丈夫?」
「はい。足も腕も開放骨折だったけれど、感染症もなかったからひと月余りの入院で済んだし、脳震盪のほうが心配だって言われたけれど、定期的な検査は受けているし、最近の検査でも異常はないから」

彼女、秋沢香子は、安堵したように一つ息を吐くと、「上がって」とリビングに招じ入れ、自分はソファに座り込んだ。
俺は素直にガラスのテーブルをはさんでラグの上に座り込む。

両手で包みこむようにして持っていたミニタオルの塊をテーブルにそっと載せる。

中身はもう気づいているだろう。
彼女も、瑞人の部屋で幾度となく見かけているはずだ。

最後の涙を拭いた細い指が、ゆっくりとタオルを広げてゆく。
開いたタオルの真ん中に、バカラのアルクール。
瑞人が好んで使っていた「アルクール風」ではなく、正真正銘のオールドファッション。
底から花開くように刻まれたフラットカットがしっくりと指になじむグラス。
注がれたアルコールの色をさらに美しく見せるクリスタルの輝きと、しっとりとした重みが心地よく、瑞人から、「ほら」と渡されたときは、しばらく見とれたものだった。

「お前の家なら、バカラなんか珍しくなかっただろ?」なんて言われたけれど、残念ながら当時は意識したことなどなかったし、家を出てからは、そんな贅沢は避けていたし。

「バカラ?」
「そう」
「彼が使っていたの?何であなたが持っているの?」
「円城寺さんが、・・・瑞人が依頼していた円城寺さんというハウスキーパーさんが、俺、僕のためにってお兄さんに頼んでくれて、残してくれた」

瑞人の四十九日の後、お兄さん夫婦が上京し、瑞人の部屋を整理した。
夫婦に依頼されて円城寺さんは事務所の牧野さんと一緒にその場に立ち会い、荷造りを手伝ったという。
その時、アルクール風のグラスとこのグラスを譲ってもらったのだという。
アルクール風は俺の手元にある。
本当ならばそちらを彼女に渡すべきなのだけれど、でも、手元に置いておきたかった。
どちらかを彼女に渡すべきだと思った時、どちらを渡すかは決まってしまった。

彼女はグラスを取り上げると、両手で包み込むようにして胸の前で抱きしめ、それから、シーリングライトにかざすようにしてグラスに光を集める。

「なぜ、あなたがこれを私にくれるの?」
「瑞人は、きっとそれを望んでいたと思う。あなたは本物、だから。
このグラス、見覚えあるんじゃないかな」
彼女は、俺の言葉に、一瞬、片眉を上げたが、やがて首を振った。
「見覚えはない、かな。・・・というより」
言いかけて、口をきゅっと閉じ、こっちをかすかに睨みつけてくる。

瑞人の部屋にいるときは、それどころじゃなかったというわけか。
あの男が、今、目の前にいる美しい女性をどれほど狂わせたかと思うと、体の深いところで何かがとぐろを巻く。
カラダがよじれるような痛みが湧き出てくる。
瑞人の生前、彼をはさんで対照的な位置にいたときはさほど意識しなかったのに、瑞人がいなくなったとたん、このざまだ。
彼女が両手で抱き込んでいるグラスだって、今すぐ奪い取って床に叩きつけたいという衝動が起きないとも限らない。

でも、結局、俺はこの女性を探し出し、グラスを渡したかった。
瑞人の、大切な人、だから。

黙って彼女をみつめている俺を、彼女は薄気味悪そうに眺めていたが、やがて、「あなたは、誰?」

三度目の質問に、どう答えるべきかと口を開きかけたとき、「ああ、いや、今はいい。あなた凄く疲れているみたいだから、話しはこの次にしよう」と、手を振った。
「ここまで連れてきちゃったけれど、あなたの家、どこ?」
「今は実家に。〇〇」
「遠いな。もう終電もないだろうし、ここで寝て」

乾いた口調でそう告げられて、あっけにとられてしまった。
それがたった30分ほど前に号泣していた同じ女性なのだから。

「なんて顔しているのよ。あなたみたいなボーヤ、襲ったりしないわよ。
私のタイプじゃないもの」
「瑞人とは違い過ぎる」

端的な俺の言葉に、彼女の口辺がペルシャの細いナイフのように上がる。
けれど、それ以上は何も言わず、リビングとはガラスの仕切り戸で隔てられたベッドルームに消えた。
戻ってきたときには毛布を抱えていた。

「このソファで寝て。クッションを枕にしてね。
タオルはバスルーム、廊下の手前のドアにあるけれど、歯ブラシまでは期待しないでね。
シャワーも遠慮して。じゃぁ、お休み」

反論する間も与えず、彼女はまた仕切りガラスの向こうに消えた。
もっとも、薄いすりガラスは、彼女がスーツを乱暴に脱ぎ捨て、下着だけになった影を浮かび上がらせた。

慌てて横になり、毛布をかぶる。
正直、ありがたかった。
ここ数日、徹夜に近い状況が続いていた。
それでなくても、最後の瞬間の瑞人の笑顔が、毎夜の睡眠を浅くする。

瑞人が愛した女性がすぐそこにいる。
毛布は、瑞人の匂いがした…ような気がした。




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