夢吐(うそつ)き

バカラ(もうひとつの「夢吐き」)

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遮光カーテンが作り出した薄闇の中にいると、瑞人の温もりに漂っているような錯覚にとらわれる。
一回り体が大きいので、抱かれていると大きなハンモックに包まれているような、どこか危うくて、でも心地よくて。

お互いの鼓動が規則正しいリズムを取り戻すと、彼はサイドテーブルの上に長い腕を伸ばした。
彼の動きを察して胸から顔を離すと、「悪いね」とでもいうように軽い口づけをくれて、彼は上半身をベッドの上に起こした。
流れるような動作で、サイドテーブルに手を伸ばし、まずブラックフレームの眼鏡をつまみ上げる。
それから、もう一度、長い腕を伸ばす。

手にしたグラスは、最近彼が使い始めたもの。
どっしりとしてカットが美しい。
ベッドに入るときには、ラフロイグの浅い海に大きな氷塊がのっしりと浸かっていたのに、今はもう春の海だ。

「ぬるいでしょ」
呆れるように言うと、「かまわない。こうでもしないと、またお前を襲ってしまいそうで」。

彼と出会ってから、もう幾度目の薄闇だろう?
慌ただしい逢瀬の名残を体に惜しみながらドアを開くと、いつもそこにはまばゆい光が満ちている。
すべてを浄化してくれる光の中に踏み出すと、背後で閉じたドアの向こうで汗まみれになってのたうち回った時間が嘘のように思えてくる。

でも、ねっとりとした闇に潜むこの時間だけは、二人だけのものだ。

空っぽになったグラスを彼がテーブルに戻すのを待っていたかのように、彼のスマートフォンが鈍い音を放ち始めた。
そこに浮かび上がる名前を確認して、彼は一瞬、放心したように宙を仰いだが、その表情のまま口づけてくる。
拒みはしない。

彼の唾液と混ざってさらに生ぬるくなったアルコールは、ただ薄っぺらい香りしかしないが、喜んで飲み干す。

「瑞人」
「なに?」
「さっきの、いつもの人?」
「うん」
「・・・今夜、会うの?」
「今夜は、接待があるから、無理…かな」
「でも・・・、大切な人なんでしょ?」

返事の代わりにふわりと唇の端を上げる。
肯定の笑み。

「大切だよ、すごく」
「じゃぁ、なぜ・・・」
自分を抱くの?という問いを口の中に残った薄いアルコールに溶かして、なんとかごまかす。
でも、彼はそんなことよくわかっている。

「彼女は・・・、俺を正気にしてくれる人だから」
「じゃぁ・・・」
自分は?と、また同じ質問を飲み込むと、瑞人は「お前は、キョウキだから」と続ける。
「キョウキ?」
意味が分からず、オウム返しをすると、かれはまた軽く唇を寄せてきた。
その首に腕を回そうとすると、「ごめん、午後イチで打ち合わせ。シャワー浴びないとまずい」と、するりとこぼれてゆく。

それが嘘でないことはよく知っている。
何しろ、そのスケジュールを組んだのは自分だから。

「お酒飲んだくせに」
「飲んだのはお前。俺は口を湿らせただけ」

確かに。

けれど、何か思い返したとでもいうように、もう一度深い深い口づけをくれて、彼はベッドから出た。
自分の部屋だという心やすさか、眼鏡のみを身にまとった姿で部屋を横切ってゆく彼の背中のたくましさに少しばかり嫉妬しながら、自分は、爪痕は一筋とも残していないことを確認する。
グレーがかった闇の中でも、それだけは一度も見逃したことはない。
もっとも、自分以外の女性が残した爪痕はあった。
みみずばれどころか、軽く皮膚をえぐるほど深い爪痕を見つけたときは、一瞬だけだが血が逆流するかと思った。
もっとも、その刹那の異常な昂ぶりを瑞人はいい方に誤解してくれたようで、さらに深く穿ってくれたが。

滑らかな背中にほかの女の爪痕をもう一度確認して、かみしめた唇を隠すために毛布を口元まで引き上げる。

もっとも、自分だって彼がシャワーを終えたら、すぐバスルームに飛び込まなければ。
以前は時間を節約のために一緒にシャワーを浴びたことがあったが、結局、光熱費と水道代と時間のエコにはならなかった。
ビジネスモードでは、あれほど冷静な男が、熱いシャワーの舌に煽られて猛り狂う姿は見ものだった。
もっとも、そんな彼を目で堪能する時間はほんのわずかしか許されなかった。
何しろ、体で堪能する方がもっと魅力的だったから。

「急いだほうがいい。鉢合わせするぞ」
手際よく衣類を身に着けながら彼が言う。

「ねぇ、これ、バカラ?」
彼の言葉を無視しながら、先ほど彼が手にしていたグラスを目にかざす。
バカラにしては少々存在感が希薄。
「ふう」
「ふう?」
「だから、バカラのアルクール風。3000円くらいの安物」

椅子に掛けてあったネクタイを手にして鏡に向かいながら彼が言う。

「瑞人だったら本物が買えるでしょうに」
「いいんだよ。それ見て、バカラだって信じる人はそれでいいし、手にしてアルコールを飲んでもなお、バカラだと思う人はそれもいい。
バカラじゃない、と気づく人もいるし、中にはバカラを知らない人もいる。
別にいいんだ、俺は。飲む酒がおいしければ」
「バカラのグラスで飲んだ方がおいしいでしょ」
「お前はそうなの?」

上着までしっかり着込んだ瑞人が、振り返りながらそう言う。
眼鏡がこれほど似合う男はほかにはいない。

「瑞人が飲ませてくれるお酒が一番おいしい」
「わかった。今度は本物を用意しておく。早くシャワーしてこい。
俺は先に行くから」

言葉通り、瑞人は床に放り出してあったブリーフケースを拾い上げると、「あ、ヤバい」と腕時計を見ながらベッドルームから出ていった。
もう完全にビジネスモードに切り替わっている。

信じられない。
たった10数分前まで、人のカラダをなめ繰り回して、のけ反らせて、思いっきりアクロバティックな体位をさせて喜んでいたくせに。

けれど、いつまでも余韻に浸っている余裕はない。
慌ててバスルームに飛び込み、まだむせ返るほど熱い空気の中に彼のかすかな匂いを見つけて、思わず目を閉じる。
けれど、温度を冷水に切り替えて、心臓マヒを起こしそうなほど冷たい水の下に体をさらした。

慌てて洋服を着こみ、ベッドルームのドアを開くと、中年の女性がリビングの真ん中に立っていた。
「一応、声はかけましたよ」
表情のない声音は、「まぁ、いつものことだしね」と、諦めモード。
「ごめんなさい」
毎回、なぜ謝らなくてはいけないのかとは思うのだが、貫禄ある彼女に睨まれると、ついつい謝ってしまう自分が情けない。

彼女は、つい先ほどまでリビングの床に転がっていた雑誌や脱ぎ散らかしたシャツを持っている。
瑞人が週に2日、部屋の掃除と夕食を依頼しているハウスキーパーの円城さんだった。

先ほど、瑞人が「鉢合わせするぞ」と言ったのは、彼女のことだ。
ここで顔を合わせるのも何度目か。
最初こそかなり驚かれたが、瑞人が引っ張り込んできた一夜限りの相手も少なくはない(と、瑞人は言ったことがある)ので、円城さんも慣れっこになっているようだ。

「お仕事に遅れますよ」
警告めいた口調で言われ、「はい、ごめんなさい」と言いながらその傍らを走り抜ける。

先ほど、三和土に脱ぎ散らかしてしまった(玄関に入るなり、瑞人に抱きすくめられたから)はずの靴も、今は円城さんによってきっちりとつま先が外を向いている。
それをつっかけるようにして、勢いのままドアを開いてまだ浅い夏の光の中に飛び込んだ。


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