夢吐(うそつ)き

夢吐(うそつ)き 3

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翌日。
日報を書き終わると、壁の時計はいつものように午後8時をはるかに過ぎている。
ブラック企業であることは否定も肯定もしない。

隣のデスクで、紗月がまるでコンダクターのように腕を振り上げ、エンターキーを叩いた。
課長のデスクトップに日報を送信するときの毎日の儀式。
紗月は「様式美と呼んで」と言い張るが、決して美しくはない。
どちらかと言えば、エンターキーを叩く右手は、「こんにゃろ!」と言いたげに大仰に動くのだから。

「ちょっとさ、飲みに行かない?」
「なんで?」
「はい?」
「だって、香子、アンタ、昨日も野木さんと飲んでヤってるでしょ。
今日は一日中、彼の余韻に浸っていたいんじゃないの?」
「なに、それ」

やきもち?と続けないのは、紗月の嫉妬と侮蔑がグラデーションしているような表情にぶつかったからだ。
けれど、彼女は片方の肩をちょっとだけすくめると、「いいよ。今夜はあんたの驕り」と言いながらパソコンをオフにした。

今夜のスタンドバーは平日の中日だというのにほぼ満席。
「みんな元気だよね、まだあと二日もあるってのに」
自分のことは棚に上げて、紗月が、アヒージョをつつきながら言う。
運ばれてきたときはオリーブオイルの芳醇な香りがしていたのに、既にそれは冷え始めている。

「あのね、これがまずくなる前に話してくれる?」
しびれを切らしたように紗月が口を尖らせた。
香子は香子で半分以上も残っているビールグラスに口をつけ、けれど、唇が湿った程度。
そんなことをさっきから幾度も繰り返している。

「あのさ」
「なに?」
「異動願い、出しても、いいかな?」
「四国エリアは難しいよっ」

いきなり具体的な地名が出て、香子は思わずグラスをテーブルに音高く置いてしまった。
「こら、こんな華奢なグラスだよ、割るな」
「・・・って」

紗月は丸いガラステーブルにひじをつけ、そこにあごを預けて香子を睨み仰ぐ。
「図星。ホントにつまんないよね、秋沢香子は。営業やってるときはあれほど厚顔で押しが強いって言うのに、恋愛が絡むとまるで骨抜き」
「・・・」
「そこがかわいいでしょ、なんて言わないでよ。アタシは思ってないからね。
私だって野木さんと打ち合わせのあいまに雑談くらいするよ」

そうだよね、私の昔の別れ話をバラしたくらいだからね、と思う余裕は今の香子にはない。

「ほかのクライアントも紹介できるし、長いお付き合いをよろしくお願いしますって、頭下げたら、彼が言ったの。
『私が田舎に引っ込んでも、同僚にしっかり引き継ぎますから、心配なさらないでください』って。
どういう意味かって聞いたら、あと2年くらいで田舎に支社を作るので、私はそちらに行きますって言うんだもの。
びっくりしたわよ。
思わず、じゃぁ、香子はどうするんですかって、なんか、責めちゃったら・・・」
「ら?」

自分で思っていた以上に弱気な声が出てしまう。
そんな香子の顔を見て、紗月が失望したように肩を落とした。

「あのさぁ、香子。そんな腰が抜けるような声、出さないでくれる?
勘弁してよ~。
そんな秋沢香子、見たくないよ」

そんなこと言われなくてもわかっている。
自分でも信じられないんだから。
昨夜、初めて瑞人の夢を聞いて、意識していた以上に衝撃を受けた。
今も体の芯を支えているのは、昨夜、奪うようにして抱きしめた瑞人の熱さだ。

「香子。気づいてなかったの?彼のこと、その、愛しているって」
顔があげられない。
「アタシ、気づいてたよ。
だって、私が『マジになってもいい?』って聞いたとき、香子の顔が歪んだもの。
一瞬だったし、すぐに香子は澄ました顔を取り繕ったから、自分では意識していなかったと思うけれど…。
あの時、私は思ったんだよね、言い訳や戯言、いっぱい聞かされてきたけれど、香子は野木さんのこと真剣なんだって」

香子は唇をかんだ。
自分の不甲斐なさを改めて痛感する。

「今まで恋愛経験がないわけじゃないでしょう?それに、5年も寝てきたんだよ?
たった一人の男と。
彼にだって恋人がいるわけじゃない。なんでさっさと占有宣言しておかなかったのよ」

考えたことがなかった。
否。
考えることが怖かったのかもしれない。
大学時代からほのかに憧れていた男と、ひょんなことから寝て、それ以来、連絡すれば嫌な顔一つしないで出てきてくれた。
優しくて、朗らかで、絶対に香子をけなしたり、蔑んだりしなかった。

居心地がよくて、このまま永遠に続くと思っていた。

「馬鹿じゃない?永遠に続くはずないじゃん。
夢ばっかり見てないで、もっと現実をみつめなさいって。
はっきり言って、野木さんにしてみれば、香子は都合のいい女だってことじゃない。
男の32歳はまだまだひよっこだけれど、女の32歳はそろそろホンキが必要なんだよ?
いくら高齢出産が多くなっているといっても、そのあとの育児やらなんやら考えたら、若いに越したことないんだからね。
いつまで夢見る夢子ちゃんなのよ。
香子はもっと現実的だと思っていたわ」

呆れるよりも非難に近い言葉に、香子は返す言葉もない。
いくらでも反論できるが、その気力はない。

「・・・まぁ、2年もあればなんとかなるでしょ。アタシも援護射撃してあげるから、課長にも係長にも根回しするんだよ?」
まるで赤ん坊をあやすように、紗月が言う。
香子が唇を尖らせて目を潤ませると、先に紗月の目から、ほろっと涙がこぼれた。

「馬鹿だなぁ、ホントに。
誰かを愛するなんて、すごく簡単なことなのに、どうして素直になるのは難しいんだろうね」

自分の頬が濡れていることさえ気づかぬようにしみじみとつぶやく親友の顔を、香子はあたたかな吐息とともに見つめ返した。



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新作を楽しみにしていましたと言ってくださる皆様、いつもいつも本当にありがとうございます。
ぼちぼちですが、書き続けておりますので、今しばらくお付き合いくださいませ。



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