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心、こぼれて(完結)

心、こぼれて 23

 ←案の定・・・ →心、こぼれて 24
※ラストと一緒にアップ予定でしたが、ラストに迷っているので、先に23をアップすることにしました。
最近、ラストに迷うことが多くなったなぁ~~~~(遠い目)

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23

「今日、職員室は修羅場だったんですって?」
帰宅するなり、先に帰っていた絢奈が開口一番、そう告げた。
浩一は、ちらりと妻の顔を見るだけにした。
誰が絢奈にご注進したのかは問うまでもない。
あの騒ぎの最中、稲垣だけは職員室の片隅に置いてある自分の机から離れずに、どこか高揚したような表情で成り行きを見ていたのだから。

「多いもんね、教師と保護者の不倫。
奥さんの方、一昨年のPTA役員で担当だった先生と2年越しの不倫だったんですってね」
皮肉のつもりなのか、絢奈は書斎までついてきてしゃべり続けている。
浩一と尚美のことを疑い始めてから、彼女の口調には粘るような響きがある。

浩一は相手にしないことにしていた。
反論したところで、一度彼女の心にともった猜疑の火は消えないだろう。
そして、自分自身にも後ろめたさはある。

今日、尚美は『鳥越隆史展』のチケットを受け取ってくれた。
もし、一緒に展覧会を見てしまったらその先はどうなる?
12年前、若さゆえの性急さで断ち切ってしまった想いの行方は、見えてくるのだろうか?

「稲垣センセ、メールで自慢してたよ。
今日の二人のこと、両方の家庭に密告したのは自分だって」
「なんだって?」
振り返ると、思っていた以上近くに妻が立っていた。
そして、夫を見上げている
その目に宿っているのは怒りでも皮肉でもなかった。

いきなり絢奈は浩一に抱き着いてきた。

「ヒロさん、今日もあの人と一緒にいたの?」
「あの人って・・・」
「稲垣センセのメール長いのよ、最近。
恨みつらみしか書いていない。ご主人とも離婚するらしい。
だから、周りの誰もを巻き込んで、みんな不幸になれって呪文みたいに繰り返し繰り返し書いてくる。
今日も書いてあった。
ヒロさんが、あの人とランチルームでイチャイチャしていたって」
「馬鹿な。広報の仕事をしただけだ。生徒たちも一緒にいた。
何度も言っているだろう。
それに、彼女は自分の机から勝手に離れることはできない。
いつも教頭の監視付きだ。
絢奈と俺が、今日の二人と同じように罵り合って憎み合って別れるのを見たいだけだ」
「・・・私は稲垣先生と一緒に不幸になんかならない。
絶対に不幸をもらったりしないからね。ヒロさんと幸せになるんだから」

絢奈は夫を信じるとは言わない。
私は疑っている、けれど、それを認めないとその声が言っている。
悲壮にも聞こえるのに、でも、愛しているはずの妻の言葉が心を素通りしてしまう。
彼女を抱き返す腕は何のためらいもないのに、そこに温もりは感じられない。

もう一度、そう12年前、まさかそれきりになるとはみじんも思っていなかった日に戻れたら。
お互い住まいの中間地点になる駅のホームで尚美と別れた。
ただ若くて、ただ愛していた。
人目なんか気にもせず、いつものように抱擁しあって、先にホームを出てゆく電車を見送った。
昇降ドアの窓に顔を寄せて、「またね」と唇だけで告げた尚美に、軽く手を上げて応えた。
もし、あの日の抱擁が最後になると分かっていたら、もっと強く抱きしめたのに。
否、決して放さなかった。

愛していた。
では、今は?

腕の中にいる妻が、一瞬、他人に思えた。


夕食もすみ、涼太はおとなしくソファに座ってコミックを読んでいる。
テレビではお笑い芸人が勢ぞろいしたバラエティ番組をやっているが、見ている風もない。
かといってチャンネルを切り替えれば、不服そうにこちらを仰ぎ見ることだろう。
早くお風呂に入って眠ってくれればいいがと思う一方、いつまでもそばにいてほしいとも思う。

洗い物も終え、尚美はダイニングテーブルに落ち着いた。
今日、持ち歩いていたバッグから手帳を取り出す。
はさんであったのは、あのチケットだった。

職員室の騒ぎの時、無意識に握りしめてしまったため、シワが寄ってしまった。
慌てて手帳に挟んで押さえつけたのだが、アート紙のシワは消えない。
もう一度、テーブルの上で手で伸ばしてみたが、一度ついてしまったものは消えるはずもない。

あの後、妙に弛緩した職員室は、誰もが何をしていいのかわからないように右往左往するだけだった。
すすり泣いている女性を職員室から連れ出したのは、年配の女性教師だった。
尚美の傍らを通り過ぎたとき、「だから、申し上げたではないですか」と、ささやいているのが聞こえた。
つまり、教職員の間でも二人の関係は知れ渡っていたのか。
わざわざ忠告してくれた人間もいたというのに、二人は関係を断つことはしなかったのだ。
糸の切れたマリオネットのように座り込んでいた徳井は、しばらく呆然とした後、周囲の侮蔑の視線に弾けるように立ち上がると、サンダルを蹴り飛ばすようにして職員室から駆け出していった。
教頭の呼び止める声も無視して。

いったいどんな処分が下されるのか、尚美には全くあずかり知れぬことだが、稲垣といい徳井といい、今年はスキャンダル続きだった。
校長と教頭は管理責任を取らされるのだろうか。
校長はこの小学校で上がり(定年退職)だと聞いていたが、最後にこんな事態に巻きこまれて気の毒だとも思う。

野次馬だった教師たちがバツの悪い顔をしながらそれぞれの場所に帰ってゆくと、廊下には尚美だけが残った。
どうすればいいのか迷う尚美のそばに、浩一は拾い集めた紙片を数枚持って歩み寄ってきた。
ちらりと見えた紙面には、メールらしい文章がびっしりとプリントアウトされている。
あの男が言っていたメールのやり取りなのかもしれない。

「今日はもうお帰り下さい。またあとから連絡しますので」

さすがにこわばった顔の浩一が、先ほどの甘さを微塵も感じさせず事務的に言った。
尚美はまるで自分が罪を犯したかのようにそそくさと帰ってきたが、あの後、職員室ではどう事後処理をしたのだろう。

テレビでは相変わらずお笑い芸人が何かをガナり、観客たちがどっと笑っている。
あんなに楽しそうに笑ったのはいつだろう。

振り返れば最近、大声で笑った覚えがない。
どうしてなんだろう?
涼太に笑いかけたり、誰かと立ち話して笑ったりをしているが、大きな口を開けて大きな声で笑うという行為を忘れている。

ここ最近は、ひそやかに笑ったり、自嘲の笑いを漏らしたりすることばかりだった。

ふいに浩一の笑顔が蘇る。
あの人は、本当に楽しげに笑う人だった。
キャンパスでテニスコートで、厚みのある笑い声は、周囲の誰をも楽しい気持ちにさせてくれたものだった。
今、その笑顔に会いたければ学校に行けばいい。
あの人は生徒にあのひまわりのような笑顔を向けているのだから。

一度心を解放してしまうと、浩一との思い出がとめどなく溢れこぼれてしまう。
別れた理由はわかっているのに、でも、なぜ別れたのだろうと不思議な気持ちになる。
愛していたのに。
愛していたからこそ許せなかった。

愛していたのに、なぜ許せなかったのだろう?

なら、今は?

目の前に命にも等しい涼太がいて、そして、私たち家族を守るためにいつも盾になって戦い続けている夫がいてくれる。
彼を愛している。
あの、セクハラから守ってくれたあの夜からずっと。

なのに、浩一の笑顔が心から消すことができない。

・・・いきなり、玄関ドアのロックが解除される音が響いた。
驚いて涼太を引き寄せた途端、リビングドアが開く。

「パパ!」
「ただいま!」

涼太と尚美と理彦が同時に口を開く。

涼太はすぐに理彦のところへ駆けよって、大きな顔が割れるほどに笑っている父親にしがみついたが、尚美は目を見開いたまま動けない。
今、そんな笑顔を、夫ではない他の男の笑顔を思い浮かべていたのだから。

理彦は涼太をひょいと抱え上げると、呆然と見上げている妻のもとへと歩み寄った。

「ただいま」
「おかえりなさい。でも、まだ・・・」
「仕事が早く終わったんだ。だから、急いで帰って来た。嬉しくないの?
そうだ、まだ夕飯食ってないんだ。何かある?」
言いながら、まだまとわりついてくる涼太を床に下ろし、手にしていた包みを「おみやげ」と、渡す。
父の突然の帰宅にテンションが上がった涼太はもどかしげに包装紙を開け、それが以前から欲しかったゲームソフトだと知ると、さらに奇声を上げて踊りだす。
普段の涼太からは想像もできない喜び方だったが、それだけこの数日、涼太にもかなりのストレスだったのだと改めて思う。

理彦も涼太の大仰すぎる喜び方を目を細めて見守っていたが、尚美に向き直ると改めて「ただいま」と言った。
尚美は夫の顔を見上げた。
笑ってはいるが、疲労は色濃く体を覆っている。
この10日ほどで少し瘦せたようだ。
今夜帰ってくるために、夫がかなり無理をしたのだと尚美は悟った。

「パパ」
「ホントに何かない?腹減りすぎて倒れそうだ」
理彦はその言葉通り、大きな音を立ててダイニングテーブルの椅子に座った。
でも顔は笑っている。
尚美は慌ててキッチンに立った。

テンションが上がりすぎた涼太がなんとか眠ったのを確認して、尚美は夫の前に座った。
理彦は薄い水割りを自分で作ってソファに座っている。
その背中にも疲労がにじみ出ている。
尚美は黙って彼の前に座った。

「寝たか?」
「うん。とても幸せそうな顔して、眠っているのに笑っているの。
あなたが帰ってきてくれたのが本当に嬉しいみたい。
でも、何かあったの?急に帰ってくるなんて」
できるだけ明るく尋ねると、理彦はまた大きく微笑んだ。
そして、グラスをサイドテーブルに置く。

「鮎沢さんが知らせてくれた。ママが一昨日、倒れたって。
だから、仕事を急いで片付けて帰って来た」

尚美が目を見開くと、理彦はまた微笑みながら大きくうなずいた。
「その理由も聞いた。鮎沢さんは、奥さんから電話をもらったそうだ。
彼は、昔、前の奥さんと離婚の際にかなり応えることを言いふらされたそうだ。
前の奥さんだけじゃなくて、その、上司にもね。
それで自分から進んで転勤をしたそうだが、ここで、その当時の上司と出会ってしまった。
今は部が違うから直接のかかわり合いはないが、嫌悪感は相当なものらしい。
そのうえ、短期間とはいえ、今、この社宅にいる。
・・・もちろん、知っているよね、蒲田さんだよ。
蒲田さんの奥さんは鮎沢さんの奥さんにも嫌がらせをしていると聞いた。
知っているよね?」

尚美は、ためらいながらもうなずいた。

「だから、鮎沢さんの奥さんは、ママのことを心配してくれた。
出過ぎた真似かもしれないがと、昨日、ママが倒れたってことをご主人に伝えたんだ。
その理由も。
奥さんは、『自分は蒲田さんの意地悪はスルーできるし、するつもりでいる。でも、近藤さんの奥さんは信じた人に裏切られてひどくショックを受けている。今、支えられるのはご主人しかいない』と、言ったそうだ。
会社に家庭の事情を持ち込むことの是非については、この際、目をつぶってもらおう。
鮎沢さんともそう話した。
幸い、仕事は何とかめどがついたし、鮎沢さんもあとは任せておけと言ってくれた。
だから、急いで帰って来たんだ」
「パパ・・・」
「早く帰ってきて・・・、迷惑、だった?」

尚美は穏やかに笑う夫にしがみついた。
鮎沢に口止めしなかったのは失敗だったが、それでも、夫の帰宅は嬉しい。

「ごめんな、いろいろ苦労かけて。でも・・・」
夫は言いながら尚美の手を優しくほどくと、自分の傍らに座らせた。
改めて夫の顔をみつめる。
疲れはそこかしこに張り付いているが、相変わらずいかつさの中に優しさが滲んでいる人だった。
「話がある。最初は相談・・・のつもりだった。
でも、もう決定事項として聞いてほしい」
「なに?」
「それよりも」と、夫は目を尚美の背後に向けた。
そこにはリビングドア、その向こうには廊下の先に玄関がある。

「玄関のところにゴミ袋が積んであったけれど、もしかして、鮎沢さんの奥さんに何か聞いていた?」
「鮎沢さんの奥さん?いえ、何も・・・、あ、鮎沢さんが転勤になると」
ああ、と夫の表情が揺れる。
安堵したように息が漏れる。

「どうしたの?」
「ママ、俺も転勤だよ、本社に。来月1日付けで。鮎沢さんと同時になる」

尚美は呆然と夫の顔をみつめた。
いきなりの話に、なんといえばいいのかわからない。

「実は、出張が延びた段階で転勤話は出ていた。
けれど、あまりに急だったし、会社のほうも内示はまだ出せないと言っていたから、ママには言わなかった」
「この間、相談があると言っていたのは、そのことだったの?」
夫はうなずく。

「もし本決まりになっても、最初は単身赴任のつもりだった。
半月足らずで引っ越しはかなり無理をしてしまうことになるからね。
でも、今日、会社からも辞令をもらったし、ここには何の未練もない。
ママは大変だけれど、引っ越そう。
幸い、ママの実家に近い借り上げ社宅が空いているから、そこに決めてきた。
そのほうがママも心強いだろう?
夏休みになったら先に涼太を帰して、10日もないけれどいろんな手続きを頼む。
荷造りは業者を手配するから心配はしなくていいから」

あまりにも手際のいい夫の顔を呆然と見返していると、また夫が微笑む。

「ごめん、何もかも勝手に決めて。
でも、悩んだり考えたりする時間がもったいないからね。
もし、何か不満なら・・・」
尚美は首を振った。
「びっくりしただけ。あまりに急で。だって、あと20日もないよ?」
「大丈夫。ママはおっとりしているように見えるけれど、開き直ると強いからね」
「ううん、私もだけれど、あなたのほうがずっと大変でしょう?
引き継ぎ、そんなに早くできるの?」
「できる。俺の方は大丈夫。まぁ、今度はこっちに出張してくることになるだろうけれど。
鮎沢さんとこも条件は一緒だ。あそこも7月中に引っ越すと言っていた。
鮎沢さんと俺は、8月から正式にプロジェクトチームに組み込まれることになる。
東京オリンピックが終わるまでは本社勤務確定だよ。
もちろん、俺はそれからも本社にしがみつく予定だけれどね」

夫の声に力がこもった。
その意味することは尚美にもわかる。

雅恵は知っていたのだろう、多分。
理彦が本社に出張するだけでなく、完全に本社勤務になることを。
自分が、自分の夫が地方に置いて行かれることもはっきりと自覚したに違いない。
ポストの枠は決まっているのだから。
それゆえの嫉妬だったのだ。

「さて、もう寝ようか。さすがに疲れた。明日からママは大忙しになるからね。頼むよ」
洗面所へと向かった夫の大きな背中を見ながら、尚美はダイニングの椅子に置いてあった自分のバッグをのぞき込んだ。
先ほど、慌ててしまった手帳がページを開いたままになっている。
はさみこまれた『鳥越隆史展』のチケットが、アート紙特有の光を帯びて尚美の眼を射た。




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